歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

変態する音楽会〜テクノロジーの力で生まれ変わるオーケストラと音楽〜 感想

感覚の分断を更新する演奏会(プログラムより)

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落合陽一がオーケストラと組む?!

研究、教育、ビジネス…とさまざまな分野でめざましい成果を挙げながら走り続けるメディアアーティスト・落合陽一さん(それにしてもメディアアーティストって本来どんなことをする人の肩書なんだろ…)。自分はニュースサイトNewsPicksでの落合さんの発言などよく参照させてもらっています。テクノロジーのみならずアート、学問、哲学に至るまでの該博な知識をもとに、未来について常にポジティブに語るその姿勢には、いつも刺激をもらいます。

そんな落合さんがオーケストラと組んで”何かをやらかす”という。名前も「変態する音楽会」と何ともそそるネーミング。クラシックは「クラシックのTV番組を作る」という自分の仕事の領域でもありますし、これは見に行かねば、と8月27日、会場のオペラシティに向かいました。

 

開演10分前に落合陽一登場!

自分はA席7000円。オペラシティ・コンサートホールをご存知な方は分かると思いますが、すごく細長いホールの後方でした。

「まあ開演15分くらい前につけばいいか」とゆるゆる向かったのですが、席に着いてしばらくしたら、落合さん自身がプレトークと称してステージに登場してきました。こんな出し物があるとは全然知らなかったのでちょっとビックリ。会場もまだまだ空席が目立っていたので、自分同様知らなかった人も多かったのでは、と推察します。なんかちょっともったいない。

トークの内容をメモ取ろうと思ったんですが、何せ落合さんの頭の回転早いわ、口も早口だわ、で大変でした。落合さんの傍に手話する人もいたんですが、めちゃくちゃ手が速く動いてた。

落合さんが話された内容、断片的ですが、だいたい以下の感じでした。

  • 耳以外でも感じる音楽会。前回は室内楽だったが、今回はフルオーケストラ。
  • Youtubeで無音にしてるとオケはツマラナイ。
  • ジョン・ケージの「4分33秒」(ジョン・ケージが出てきて、ピアノの前に座って何もせず、4分33秒経ったら立ち去るという前衛的な作品)でも分かるように世の中に無音は存在しない。
  • オーケストラを邪魔しない形で何かを付け加えたかった。
  • モーツァルトやチャイコフスキーが生きていたら映像の楽譜を作るだろう。
  • 今回は踊りの曲、身体性を使う曲。耳以外の刺激を得られるオケ。そういうのを感じとってもらえたら。
  • 映像がある分、情報量が多いかもしれない。そんな時は目を閉じればいい。

聴覚を刺激し快感に導く、というふつうのコンサートを映像の力を使って越えていこうという落合さんの決意が伝わってきました。これは音が鳴るのが楽しみだ、そんな気持ちにさせてくれました。

 

今回のキャスト&スタッフ

演出:落合陽一

指揮:海老原光

この海老原さんという方は初めて知りました。音楽的な出来栄えなど専門的なことは分かりませんが、台の上で跳ねるように指揮をされていて非常にフレッシュな印象。

ビジュアル演出・演奏 WOW

東京と仙台、ロンドンに拠点を置くビジュアルデザインスタジオだそうです。

公式HPはこちら。

https://www.w0w.co.jp/

進行アシスタント:江原陽子

演奏:日本フィルハーモニー交響楽団

 

今回のコンサートのプログラム

曲目は以下の通りです。※プログラムからの引用

  • ドヴォルジャーク:スラブ舞曲第1番(約4分)
  • ブラームス:ハンガリー舞曲第1番(約3分)
  • サン=サーンス:交響詩《死の舞踏》(約8分)
  • 休憩(20分)
  • ラヴェル:ボレロ(約16分)

 

音の抽象性を映像に”変態する”

オーケストラの背景には写真のような細長いモニターが掛かっていました。

(この写真は終演後、主催者側の撮影OKのアナウンスの後、撮ったものです)

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ここに曲ごとに様々な抽象的な画のような、デザインのようなものが映し出され、音に合わせて躍動します。

しかもその動きは指揮者の持つ指揮棒とモーションキャプチャーで連動しているので、完全にライブ映像(事前に仕込んでおいたものではない)。生ならではの微妙なグルーヴも指揮者の身体を通して映像に反映される仕組みです。

このモニターに加えて、周囲の2階部分に、蛍光灯のような(スターウォーズのライトセーバーのような?)細長い棒状の光管を持った人が10名くらいでしょうか、登場します。その光管も光ったり、さまざまな色に変化をしていました。つまり細長いモニターと光管が媒体となって音を映像化していた(光管を持った人は筑波大学のダンス部の皆さんだったようです)。

どんな映像だったか。

全て抽象的なものだったので言葉では表現しづらいのですが、布のようなものがユラユラいたり、数多くのピンポン玉が水中を進んでいったり、とそんな感じです。考えてみれば歌詞の載っていない音楽は抽象そのものなので、映像にするとすればこうなるのかもしれない。あと映像が具体的ではないので、それぞれの鑑賞者が意味を補って頭の中でイメージを膨らます自由さはありました。

一方で音楽が明確なリズムを叩くところなど分かりやすく映像が変化して面白かったです。例えば、ボレロで派手にシンバルが“ジャーン”となるところなど、映像の中でも爆発らしきものが起こっていたりしてました。リズムの方が映像との親和性があるんだろうな。メロディーだと聴覚で捉えないとどうしようもないけど、リズムは身体に直接響くものなので聴覚以外でも感じることができるから(あ、でもメロディーを映像上の線の上げ下げで視覚的に表現することはできるのか…。でもやっぱりそれだとつまらない表現になる?。あと今、気づいたんですが、譜面自体、ある種視覚で感じる音楽なんでしょうね。だから聴覚を失ったベートーヴェンでも譜面が書けたので作曲をすることができた)。

とにかく映像を具象に還元するのではなく、音そのものを抽象的なまま眼で見えるようにしたい!という制作者の意図をはっきり感じることのできるコンサートでした。

 

サービス精神 ビンビンのコンサート

今回は今までのクラシックのコンサートでは感じたことのない主催者側のホスピタリティを、随所で感じることができました。冒頭で紹介した落合さんのプレトークもその一つです。

休憩中は、ロビーで生フラメンコショーが。

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ロビーでビールを買ってチビチビやりながら、フラメンコ見るなんてなかなか贅沢な体験でした(見てる人も多かったので、半ば背伸びしながらの観覧でしたが)。

休憩あけの後半冒頭では、再び落合さんがステージに登場(写真右から2番目)

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落合さんが3拍子で指揮棒を振り、観客全員でボレロのリズム(タンタタタタンタンタン…というやつ)に合わせて膝を叩きます。その時のリズムは「はい、お・ち・あ・い・よ・い・ち」と落合さんの名前でタイミングを合わせます。細かい演出が効いてて楽しかった。

終演後もロビーで落合さん、指揮の海老原さん、映像を製作された近藤さんと3人が登場してのアフタートークが展開されました。

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海老原:オケも映像から感じたかった。終わった時、拍手の圧がドーンと来た

近藤:オケの仲間に入れるか不安だったが、皆さんのおかげで一員になれた

落合:リハの最後まで映像を修正していた。ナマ感あった。オケは総合体験。コンサートホールに足を運んでもらうきっかけを作るのが大事

など話されてました。3人が協力し合ってこのコンサートを成功させた、その達成感がよく伝わって来た。

また観客からの質問を受け付けるシーンもありました。それに対する落合さんの回答の断片は以下のような感じ。

落合:マジメにオケに映像を足す、とか言いながら理解してもらうのに2週間かかった。映像も含めた新しい楽譜を書いていきたい。

コンピュータの性能が上がり、モーションキャプチャもリアルタイムでの処理が間に合う時代になった。感覚に分断されない楽器ってできると思う。

目を閉じて音を聴くといろんな音に聴こえる。聴覚に感じるイメージをどうやって映像に落とし込むか。

音聴いて煙(けむ)いとか。煙い音は正しい。

(次回以降でやりたいこととして)オケなので映像配置が何人いてもいい。音以外もオケスタイルにしたい。普段やらないようなところでもやりたい。例えば洞窟。自然の花は日の沈みみたいなことも入れていきたい。

落合さんの言うことはいちいち刺激的で面白い。アートの定義をアップデートしようとしている意識がものすごく伝わってきました。

 

パンフレットがイケてる

今回のコンサート、パンフレットも充実していました。

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制作者が曲に対して抱いたイメージとは

落合さん、海老原さん、近藤さんが曲に対して抱いたイメージが紹介されているページ。一部引用してみます。

〜ブラームス:ハンガリー舞曲第1番〜

海老原:実はハンガリーに在留していたジプシーの音楽。ハンガリーの地の音楽というよりジプシーによるヴァイオリン。

落合:最初に聴いた時は、踊っている人の数がずいぶん多いなと思いました。映画のシーンだとしたら真上から撮って、人がくるくるくるくる、と回っているカットが入っているイメージ(以下略)。

〜ビゼー:《カルメン》組曲 アラゴネーズ〜

近藤:この曲から強く受けるイメージがあって、オペラでいうところの決闘前というか、情熱と冷静の間のようなメリハリを表現したい。

今回のコンサートの表現の”種”となった原イメージが率直に語られていて、読み応えがありました。

落合陽一による”映像譜”

落合さんが音楽の譜面に映像イメージをメモしたものも紹介されてました。

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「背景に踊りの動きかな」「バーのLEDはランダムに」みたいな書き込みがあります。創作ノートみたいで面白い(字は走り書きで読みづらいけど…)。自分に映像を作れる技術があったら音に合わせて映像作るの、やってみたいですね。音のイメージを自由に、ひたすら自由に視覚に落とし込んでいく作業は楽しいだろうな、と。残念ながらそんな技術は微塵もありませんが…。

 

大切なのは知識じゃなくて、感性を磨くこと〜演出×指揮×映像の鼎談より〜

パンフレットには落合さん、海老原さん、近藤さんの鼎談も収録されてました。アートや感性に関する珠玉の言葉がぽろぽろ溢れています。こちらも一部引用します。

落合:最近わたくし、感性を磨くことは大切だと言っておりまして。当たり前のことを言っているだけなのですが(笑)、その中で一番大切だと言っているのは、「前提知識がないことはダサいと思うことを止める」ことです。優れた感性と表現力を持った人は、初めてのものに触れても「◯◯って感じがする」という言葉がスパっと出てくる。素人思考は柔らかな感性の源。

落合:日本人は、知らないと恥ずかしいから、最終的には口を閉ざすという文化を持っていると思います。この「あえて語らない文化」から「あえて語る文化」に変えたい。「前提知識はリセットしてもいいんだよ」という感じを今回のプロジェクトでは出していきたいです。

海老原:僕自身がそれを感じました。今回のプロジェクトを進めていくうちに、複雑な感覚として音楽を捉えることができていることがとても自由で楽しい。

近藤:プロジェクトの初期段階から、映像を映像として観てもらうのではなくて、映像は楽器であり、作り手は奏者として存在するというところは崩さないようにしています。どんな表現がいいのかを、人と人とで決めていく。

この鼎談だけでも一読の価値ありでした。違った分野の一流の人たちが、新しい表現の可能性を求めて、感性全開で語りあってるところを垣間見るのはほんと面白い。

 

最後に

クラシックのコンサートではありましたが、現代アートの展覧会にも通じるような”前衛的”な体験ができました。そういう意味ではクラシックに興味のない人も十分楽しめると思います。テクノロジーと時代の最先端をいく人がアートや感性のあり方をアップデートしていく一つの現場がそこにはありました。