歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

梅を10倍面白く愛でる〜梅の歴史をたどる〜

日本人は梅とどうつきあってきたか。

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梅をもっと味わうために

先日(2019年2月16日)、皇居の東御苑に行ってみると梅がいい感じに咲き始めていました。東京で梅の名所というと、ついつい湯島天神を思ってしまっていたので、皇居で梅に出会えたのは僥倖でした。

さて、桜より一足先に、春のかすかな兆しを教えてくれる梅の花。古来、日本人は梅とどのようにつきあってきたのか、調べてみました。

 

梅は中国のもの 桜は日本のもの

梅は一般には8世紀ごろ(奈良時代くらい)、中国から入ってきたものとされています。もともと舶来のものなんですね。

なので、8世紀の初めに成立した歴史書『古事記』『日本書紀』には梅は出てきません。

日本で一番最初に梅が登場するのは8世紀半ば(751年)に成った漢詩集『懐風藻』ということです。奈良・平城京の大仏の開眼供養が752年なので、ちょうどその頃できた詩集です。

また『万葉集』という7世紀後半〜8世紀後半に編まれた歌集がありますが、この歌集でも桜より梅を詠んだ歌の方が多いんです。

平城京の貴族階級が、当時の輝かしい文明国家・中国に憧れて、梅の文化や味わい方、行事なども一緒に取り入れたそうです。

強引に言えば、戦後日本がアメリカに憧れて、ロックやハンバーガーを積極的に取り入れたのと似ているかも。梅を鑑賞したり、文学に詠んだりするのがハイカラな時代があったということですね。

 

なぜ天神や天満宮に梅が植えられてるのか

梅と言えば菅原道真。菅原道真と言えば、湯島天神(東京)や北野天満宮(京都)に祀られている神様です。またそれらの神社は必ず梅の名所です。

ではなぜ、梅と菅原道真が結びついたのか。

菅原道真は平安時代の超天才な大学者(その天才伝説にあやかって、今は押しも押されぬ学問の神様です)。貴族社会でも順調に出世していたんですが、その出世ぶりが、時の権力者・藤原氏の妬みをかってしまいました。

そのため、政争に巻き込まれ、あらぬ罪を押し付けられて(と言われている)、太宰府(今の福岡県太宰府市)に流されてしまうのです。

その太宰府に流される際、都(今の京都)を旅立つ道真が、庭に咲いている梅に向かって詠んだ、有名な歌がこちら。

こちふかばにほひをこせよむね(梅)のはなあるじなしとてはるをわするな

”こち”とは東風のこと。春になって東風が吹いたら、都から太宰府まで梅の花の匂いを寄こしておくれ。私(あるじ)がいないとて春を忘れてはいけないよ、という意味です。

道真が太宰府に着いたのち、その庭の梅が道真を慕い、太宰府まで飛んできて根づいた、との言い伝えもあります(太宰府天満宮の飛梅(とびうめ))。

この道真が詠んだ歌、そして飛梅伝説のために、”道真と言えば梅”というワンセットで考えられるようになりました。

 

梅には霊力がある?

梅は、まだ冬の寒さが辺りに残っているうちから、他の花に先駆けてポツポツと咲きます。

松尾芭蕉の弟子だった江戸期の俳人・服部嵐雪にも

梅一輪一輪ほどの暖かさ

という有名な句があります。暖かくはなってきたけれど、まだほんの"一輪ばかし"の暖かさなわけです。

そういう冷え冷えとして空気の中で凛と咲く梅には、古来人々は、不思議な霊力があるように感じてきたらしい。そのため松(=常に緑の葉をつけている)、竹(=生長が早い)と組み合わされて、おめでたい木々の代表のようになりました。いわゆる「松竹梅」です。

 

最後に

桜の花見もいいけど、梅もいいです。なんといっても桜、特にソメイヨシノのように一週間やそこらで散ってしまうでなく、心落ち着いて、ゆったりとした気分で観ることができます。

去年は世田谷の梅まつりに行ったんですが(実はオススメ!)、今年はどこに行こうか…。

 

★参考文献

花を旅する (岩波新書)

花を旅する (岩波新書)

 

 

 

梅をはじめ、動物・植物が美術に中でどんなふうに扱われてきたか、やさしく解説してくれる展覧会でした。

www.rekishitantei.com