世界観が変わる体験。
娘が生まれた街・水戸の水戸駅北口。こんな何でもない風景が今日は妙に輝いて見えた。
今日しか湧いてこないであろう感情を記録する
今日(9月12日)の9時23分、娘が生まれました。体重は2890g、母子ともに健康でした。
妻は水戸で里帰り出産をしており、自分は仕事場のある広島で、義母からその知らせを聞きました。最初、その知らせを聞いたとき、自分が父になったという実感はなかったのですが、そのうちジワジワと、静かな喜びみたいなものが自分の心を満たし始めました。明らかに、今までの人生で味わったことのない類の感情です。
これは今日の日しかない感情だ。記録しておかねば
と思い、ブログに書くことにしました。
平凡な風景が輝いて見える
広島で、会社の人に事情を説明し、今日は後半休的な扱いにしてもらって、新幹線に飛び乗ります。
車窓からは、いつもと変わらぬ、平凡な風景。それらが、何だか今日は妙に輝いて見えました。そこに、家々やビルや川や橋や山があること自体が、ありがたいような、奇跡的なような気がしてきて、ヘンな幸福感みたいなものを感じます。今日見たあらゆる“平凡な風景”は一生忘れないような予感がします。
また、自分のふるさと的な街である京都を通過すると「娘を京都中案内して、娘が京都を好きになってくれたらいいな」と思ったり、「日本中、世界中の綺麗な景色を見せてあげたいな」とか思ったり。まだ会ってもいないのに、娘に紐づけて、なんでも妄想してしまう。ちょっと引いて考えるとめちゃくちゃおめでたい…。
あと、ツイッターを見ていたら、台風15号が引き起こした大停電で、千葉県が大変なことになっているという書き込みが幾つも上がっていて、そんな停電みたいなことに巻き込まれずに、水戸に向かえていることへの感謝の念なども湧きおこります。
要は、世の中のあらゆることに感謝したくなる方向に、感受性が鋭くなっているんでしょうね。それはイコール、静かな幸福感でもあります。
新幹線で、広島~東京となると4時間かかり、普段なら「時間がもったいない!」と本を読んだり、ブログ書いたりしているんですが、今日だけはこの静かな幸福感をいつまでも味わっていたくて、窓の外をずっと見ていました。
世界で唯一行きたい場所=娘のところ
そして、水戸に向かいながら、「今、行きたい場所は、世界中でただ一つ、子どものいる病院しかない」とも感じました。当たり前と言えば、当たり前なんですが。そこだけが唯一、自分のとっての意味ある場所に思えるんです。こういう感覚も今までなかったなあ。
思うに、子どもを持つってことは宗教的な体験なのかも。ある種の啓示を受けたような感覚に近いかもしれません。
動物にインストールされたプログラムに“のる”
病院に着きます。看護師さんが、赤ちゃんをベッドで運んできてくれます。恐る恐る抱いてみる。思ったより軽くて驚きました。そしてめちゃくちゃに可愛い。
赤ちゃんだから可愛いのか、自分の娘だから可愛いのか分かりませんが、とにかく可愛い。ここまで可愛さを感じるとは思わなかったです。そう感じるように動物はプログラムされてるんだろうなあ。そうじゃなかったら、わざわざ子ども作って育てようなんて思わないですもんね。
でも、こんなに幸福感を感じられるなら、とりあえず動物にインストールされたプログラムにのってしまうのはアリだなと思いました。赤ちゃんに会えたのは10分くらいでしたが、ホテルに帰ってからも、赤ちゃんを撮った動画を繰り返し見てしまう。この娘いたら、何にも要らないな~と思ってしまう。そう考えると、親バカは案外、安上がりかもしれないです(ま、子どもが長じて、教育費がかかりだしたらそうも言えませんが)。
時間をかけて喜びを“紡ぐ”
娘の名前は、紡喜(つむぎ)にしました。人生の時間をかけて、周りの人と良いつながりを持ち、そこから喜びを紡いでもらえれば、という願いを込めました。この“紡ぐ”というニュアンスが好きなんです。時間をかけて、ちょっとずつ人生を作っていく感じが。あと人はいきなり幸福にはなれない気もしていて。今、親しくさせてもらっている人とのつながりも、家族の絆も、時間の中で紡がれたもの。また自分で何かを達成したり、身につけたりするのにも時間は絶対必要ですしね。
この辺りの感性は妻とも共有できて、名前はけっこうサクッと決まりました。ありがたいことです。
最後に
親バカな感情をだらしなく書き連ねて、いささか恥ずかしい気持ちもしますが、「今日という日は特別だからまあいいや」と思ってアップします。読み苦しかったらすいません…。
今後は、育児のこととかもちょいちょい書いていこうと思います。