浅野家が所有していたお宝を知る。
- 広島の江戸期の大名と言えば浅野家
- ざっくり知ろう広島の浅野家
- 大名家にとってのお宝の意味がわかる
- 大名家随一の絵画コレクション!
- 日本美術の(一般的な)見方もわかる
- 最後に〜広島で文化財を鑑賞するということ〜
広島の江戸期の大名と言えば浅野家
広島県立美術館で開催されている「浅野家の至宝」という展覧会に行ってきました。会場の案内によると
国内外に点在する浅野家伝来の刀剣や茶道具、絵画などを展示いたします。
とあります。
広島で大名と言えば、毛利家?と思ってしまいそうですが、実は、江戸時代の大半の期間、広島を長く治めていたのは、浅野家です。
その浅野家がいったい、どんなお宝を抱えていたのか。
広島の歴史に詳しくなりたいこともあって、見に行ってきました。
ざっくり知ろう広島の浅野家
浅野家。
戦国~江戸の歴史を好きな人はよく知っているかもしれませんが、一般の人は
「どっか聞いたことがある…」くらいかもしれません。
浅野家の初代は浅野長政。豊臣秀吉の妻・ねねの義弟(血がつながっていない)にあたり、そういう縁もあって、また、本人が行政手腕に長けていることもあって、秀吉から重く取り立てられます(五奉行の筆頭)。
このように浅野氏は元々、豊臣恩顧の大名でしたが、時代の機を見るのに敏なのか、関ケ原の戦いでも大坂の陣でも家康方ついき武功をあげました。結果、江戸時代初期に安芸国(現広島県西部)の支配を任されることになり、明治までずっと安定的にこの地を治めることになりました。
戦国から江戸という激動だった時代を上手く生き抜いた大名の代表格と言えそうです。
大名家にとってのお宝の意味がわかる
例えば、作品No.4の「桜螺鈿鞍」。
美しい桜の螺鈿(らでん)があしらわれた鞍(馬に乗る際、馬の腰につける馬具)です。この鞍というのは、刀剣と並ぶ大名家同士の贈答品だったそうです。
また作品No.22の「漢作肩衝茶入 銘 玉堂」。
お茶を入れておく“茶道具”ですが、もともと秀吉から浅野長政に下賜されたあと、浅野家と徳川家の間で何度も献上と下賜が繰り返されたそうです。
忠誠を誓う印に浅野家から献上され、また何かの褒美や記念に、徳川家から下賜されていた。同じ品が、同じ両家の間を行ったりきたりするのが面白い。
単なる命令や申し渡しの際も、カタチあるものが添えてあった方が良かったんでしょう。今でもこの感覚、ありますよね。「手ぶらでは訪問できない」みたいな。
大名家随一の絵画コレクション!
浅野家は、江戸時代の、300を数える大名家のうちでも絵画のコレクションが頭抜けてすごかったそうです。
会場の解説にも
江戸時代三〇〇諸侯のうち質量ともに随一とされる絵画コレクションは、
大名浅野家の個性を最も明瞭に示すものとして位置付けられてきた宝物・道具であったのです。
とありました。
展示では「第3章 浅野家の中国絵画」「第4章 浅野家の日本絵画」と
2つのコーナーが絵画に割かれています。
自分としては、「第4章 浅野家の日本絵画」の方が楽しかった。
作品No.93「囲棋・観瀑図屏風」は、屏風という大きなキャンバスを使って、山崖や、まっすぐ流れ落ちる滝、人物などがバランス良く配置され、かつ雄大なスケール感もあり、絵画素人でも惹きつけられる素晴らしいものでした。
作者は狩野元信。さすが狩野派のエースといった堂々たる作品です。
あと同じ山・滝の題材を扱った絵画としては、No.85「山水図」。作者は賢江祥啓(けんこう・しょうけい)です。
作者の名前は知らなかったのですが、この絵は素晴らしかった。山容の画面における切り取り方、松の枝ぶりなど不思議とずっと見ていたい作品でした。
あと幾つかあった雪舟の絵画は小粒な作品ながらキラリと光っていました。
それに引き換え「第3章 浅野家の中国絵画」はちょっと退屈だったかも。
どの絵も(もちろん)古いというのもあって、色が褪せてて、見ていてもグッと引きつけられないんですよね。今回の展覧会、同じ絵画を見るなら日本画に鑑賞エネルギーを費やした方が良いと思います。
日本美術の(一般的な)見方もわかる
今回の展覧会、扱っているのは浅野家伝来の宝物なわけですが、折に触れて、一般的な日本美術の見方についても教えてくれています。
- 刀剣には先端に向かって細くなっていくもの。堂々とした幅広のものがある。その形の違うを味わう。
- 文字を書くための紙を料紙(りょうし)という。
- 書の雰囲気は、墨の線、料紙の装飾のほか、表装に使用した裂(きれ、布)にも左右される。金を使ったものは豪華な大名好み。
このような知っているようで知らない知識。「なるほど、そういうところに注目して見ればいいのか」というポイントが、鑑賞の合間にちょいちょい挟まれていて、なかなか良かったです。こういう指摘ってありそうでないんですよね。
最後に〜広島で文化財を鑑賞するということ〜
展示の冒頭に、こういう説明書きがあります。
昭和二十年(一九四五)の原爆により数えきれない文化財が失われた広島において、歴史や文化を振り返ることは容易ではありません。
これには、ハッと胸を衝かれた思いがしました。確かに、浅野家がいかに栄華を誇ったにしても、あの原爆が、そのほとんどを灰燼にしてしまった。その悲劇を(何らかの事情で)かいくぐった文化財が集められているわけですから、これは貴重です。
広島の江戸時代に、また浅野家に、想いを馳せてみたい人はぜひ訪れてみてください。
会期
2019年9月10日(火)〜10月20日(日)