歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

漱石、味噌、熊本城…極私的・熊本歴史散歩(後編)

”傷ついた”熊本城から学ぶ

f:id:candyken:20180619200641j:plain

そそり立つ石垣越しに天守閣

(前編からの続き)

 

今しか見られない熊本城

2年前(2016年)の熊本地震で、熊本城が大きく損傷。現在は天守閣に立ち入ることはできなくなっています(2018年6月現在)。でも一定のエリアまでは「熊本城復元見学コース」として見て廻ることも可能だという。今しか見られないお城の姿もあるに違いない。行ってみることにしました。

 

お城は街の最高のシンボル

f:id:candyken:20180622120313j:plain

こちらは熊本の繁華街から見える熊本城の天守閣。こんなに街の間近に見えるとは知らなかったです。復興作業のための足場、クレーンに囲まれた天守閣が少し痛々しい。

それにしても街の中を歩いていて、少し目線を上げるだけで”いつでも”目に入ってくるお城の姿は、その街にとって最高のシンボルなんだろうな、と思います。いつもと変わらぬ風景がそこにあるだけで人は安心する。自分が2年間住んでいた松山でも、松山城はそういう存在でした。澄んだ秋の青空に映える天守閣は美しかった。

逆にいうとそういう街のシンボル=お城が激しく傷ついてしまった時、熊本市民の心も同じように傷ついたんだろうな…。

 

熊本地震以前/以後を見て回る

さて、いよいよ熊本城を巡ってみます。

全ての部材・石材は元の位置に確実に戻す

まず行ってみたのは「東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)」。もともとこんな写真のような姿をしていました。

f:id:candyken:20180622161831j:plain

 

それが現在はこんな姿に…。

f:id:candyken:20180622161857j:plain

地震によって櫓と土台が崩壊してしまったのだとか。しかし地震前を写した写真が傍の説明板に示してあるので、在りし日の建物の姿を想像することができます。

さらに驚いたのは説明板のこんな文章。

回収した櫓部材と約1900個の崩落石材は、修復に備えて整理・保管しています。

熊本城は「特別史跡」(=国が文化財保護法で指定した史跡のうち、特に価値の高さが認められたもの。国宝と同格。大辞林より)なので、復旧工事では、旧来の位置を戻す必要があるらしいです。貴重な文化財を守るということは、なんと手間と神経を使う仕事なんだろう…。

歩いていると、こんなふうに大きな石が置いてあるスペースも。

f:id:candyken:20180621205309j:plain

石には番号がふってあります。石を一つ一つ識別できるようにし、元の場所に確実に戻せるように。こういう工夫を積み重ねてこそ、お城が以前の姿に戻るんですね。

 

”土のう”の壁で石垣を保護する

続いてこちらは、震災以前の北大手櫓門周辺の石垣。

f:id:candyken:20180622105215j:plain

現在の姿はこちら。

f:id:candyken:20180622105236j:plain

積まれている黒い塊は土のう。石垣が崩れないようにするための措置です。整然と積まれた土のうはある種、壮観ですらあります。

f:id:candyken:20180622105301j:plain

f:id:candyken:20180622105321j:plain

 

雄々しく勇壮なお城

こちらは加藤神社。

f:id:candyken:20180622112528j:plain

現在の熊本城を築いた戦国武将・加藤清正を祀っています。加藤清正は熊本の人からたいへん慕われていてせいしょこさん(清正公からの読み方から来ている)という愛称まであるらしい。

 

この境内から天守閣がよく望めました。といっても、復興中ではありますが…。

f:id:candyken:20180622113228j:plain

 以前の姿はこちら。

f:id:candyken:20180622120539j:plain

美しく雄々しい。熊本城が人気のある城だということがよく分かる。

 

熊本城で天守閣だけでなく、お城全体が勇壮でとても男性的な城のように思います。
江戸城(皇居)も大阪城も広大だし、素晴らしい城だとは思うけど、熊本城ほどの雄々しさは感じない。熊本城の日本一とも言われる石垣、黒が基調の壁。加えて城が小高い丘に築かれていて、高低差が大きいこともその雄々しさを生んでいる理由な気がする。

f:id:candyken:20180622121619j:plain

棒庵坂から見下ろす

この棒庵坂上から市内を見ると、目線の高さにビルの上層階が来て、熊本城がいかに高いところに築かれているかよく分かります。

熊本城の復興が完了したら、その”健康体”を見るべくまた訪れたいです。

 

市の中心部に熊本交通センターが存在するワケ

f:id:candyken:20180622123109j:plain

熊本交通センター

さて再び前編でも紹介した「熊本交通センター」に戻ってきました。ここから帰りの空港行きバスに乗ることができます。

f:id:candyken:20180622123204j:plain

花畑公園のクスノキ

交通センターの北側には写真のように大きなクスノキも大ぶりの枝を伸ばす「花畑公園」があります。

どうしてこんな市街地の真ん中に広いスペースがあるんだろう…と周囲を歩いていたら、格好の案内板を見つけました。

f:id:candyken:20180622155841j:plain

元々この辺りには細川家(加藤家のあと肥後を治めた大名。細川護熙元首相はこの細川家の直系の子孫)の花畑屋敷という本邸と武家屋敷がありました。

それが明治に入り、軍の施設などが置かれました。軍の施設は広い敷地を必要とするので、後の時代もその広い空間感は継承されることが多い(東京の日比谷公園など)。下記の花畑公園周辺変遷図からこの辺りの土地の移り変わりがよく分かります(この図は公園に設置してあります。理解を助けるために印をつけてみました)。

f:id:candyken:20180622160416j:plain

花畑公園周辺変遷図

街の景観を見ながら、あれこれ推理しつつ過去をさかのぼって検証するのはとても楽しい。人文散歩の醍醐味ですね。