帝釈天の木彫りは一見の価値あり。
- 春うらら 柴又をお散歩したい!
- 柴又の風土から生まれた文化的景観
- 日蓮宗のお寺には”題目塔”あり
- 柴又名物・草だんごは外せない
- 1分で分かる柴又帝釈天
- いったん所在不明になった本尊が出てきた日=縁日
- 帝釈堂の彫刻はじっくりと観たい
- 最後に
- 帝釈天の小ネタ①〜おみくじを”釣る”〜
- 帝釈天の小ネタ②〜中華もいいかも〜
春うらら 柴又をお散歩したい!
東京の桜の見頃も終わりかけた2019年4月7日。柴又の帝釈天に行ってみました。
柴又といえば"映画の寅さん"ですが、自分はTVでチラホラ見るくらいでさほど思い入れはなく、今回は、うららかな春の陽気に誘われ、あの賑やかな参道を歩きたいな、という動機。
あと、久しぶりに帝釈天の木彫りが見たいな、と。
そう、帝釈天ってあまり知られてないですが、お堂をぐるりと囲む"彫り物"がすごいんです。別名「彫刻の寺」とも言われるくらいです。
柴又の風土から生まれた文化的景観
京成線の柴又駅を降りると、すぐ参道が伸びています。
いかにも社寺の参道、といった低い家並みの食べ物屋さん、お土産屋さんが続き、さながら映画のセットのよう。外国の人にもウケる景観だろうなあ。
文化的景観とは?
この景観、文化庁により「重要文化的景観」に指定されています。
「重要文化的景観」とは、文化庁のHPによると以下の通り。
地域における人々の生活又は生業および当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの
このエリアは昨年(平成30年)に、都内で初めて重要文化的景観に指定されたそうです。
参道のお店は農家の副業から生まれた
駅前には「葛飾柴又の文化的景観」という説明書きがあります。
一部、抜粋してみます。
明治中期以降、帝釈天の参道沿いは近隣農家が副業として煎餅屋や料亭を営み始めます。明治の帝釈人車鉄道、大正の京成電気軌道による鉄道網の整備により多くの人が行き来するようになり、東京近郊の行楽地として今日見られる門前の景観が形成されました。
この辺り、江戸時代は、江戸の近郊農村だったはずで、その農家が明治になって副業として、この参道沿いで商いをするようになった、と。確かにこの土地の風土から生み出された景観だと言える。納得。
日蓮宗のお寺には”題目塔”あり
こちらは参道脇にあった題目塔。向かって左の面に「南無妙法蓮華経」と刻んであります。
帝釈天は日蓮宗のお寺。日蓮宗では、妙法蓮華経=法華経を至上の教えとし、そのお経への帰依を示すために、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えます(南無とは"従います・すがります"という意味)。
この題目石があると、日蓮宗のお寺にお参りに来たなあ、という気がしてくる。
柴又名物・草だんごは外せない
さて、柴又に来たからには名物の草だんごを食べて帰りたい!
どこが名店かはあまりちゃんと調べずに来たので、こちらのサイトで人気の草だんごをチェックしてみました。
https://romeci.net/2018/10/26/sibamata-kusadango/
この中でいちばん"よもぎフレーバー"が強いとされていた吉野家さんでいただくことに。
妻と2人、8個注文し、480円。ちなみにちょっとだけ食べてみたい!という人も1個から買えました。
確かに非常によもぎの草っぽい香りが口に広がり、あんことマッチして美味しい。だんごは一個一個のかたちが不揃いで、逆に手作り感が満載でした。あっという間に8個食べてしまった。
1分で分かる柴又帝釈天
お腹も満ちたところで、ほんの数分歩くと帝釈天の「二天門」が見えてきました。
ここで、帝釈天をざっくり知るためのポイントをまとめておきます。
正式名称…経栄山題経寺
宗派…日蓮宗
参道に題目塔もちゃんとありました。
創立…江戸時代初期の寛永年間(1629)
その歴史、ほぼ400年です。
本尊…帝釈天
帝釈天とはインドのバラモン教の神で、雷神であり、武勇神でもあります。のちに仏教に取り入れられ、仏法守護の神となりました。この”〇〇天”という神様をよく見ますが、どれも仏教以外のインドの宗教での神様だったものが、仏教に取り入れられたものです。
いったん所在不明になった本尊が出てきた日=縁日
こちらのお寺には昔から日蓮聖人が刻んだと言われる帝釈天の本尊が安置されていました。しかし江戸の中期に一度所在不明になっていました(ってけっこう罰当たりな気もしますが…。誰がなくしたんだ)。
それがある時、本堂の修理中に棟の上からその本尊(板に彫られた帝釈天=板本尊)が発見されます。ちょうどその日は安永8(1779)年の庚申(こうしん、かのえさるとも)の日でした。そのためこの庚申の日が、お寺の縁日になりました。
今年の縁日の日も、お寺の入り口脇に掲げてありました。
縁日=庚申の日
ちなみに庚申の日とは、中国から入ってきた十干十二支(じっかんじゅうにし)という暦の仕組みの上で
- 十干…甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
と
- 十二支…子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
の組み合わせが「庚申」となる日のことです。60日に一回巡ってきます。
この縁日の日はいつも以上の参拝客で賑わうのだとか。
明治の始めころの参拝の様子は?
帝釈天で入手した有料パンフレット(300円)に明治のころの参拝の様子が書かれています。なかなか興味深いので引用しておきます。
此の御本尊(注 帝釈天のこと)は庚申の日に出現したもので、以来庚申の日を縁日として東京方面から小梅、曳舟を経て、暗い田圃路を三々五々連立て参り、知る人も知らない人も途中で遇えば、必らずお互いに、お早ようお早ようと挨拶していく有様は昔の質朴な風俗を見るようである。
柴又は東京の東側の低地で、舟での移動が便利だったんですね。その舟での移動がやがては京成線などの鉄道に変わっていきます。
そもそも東京の鉄道って今は通勤客を運ぶのがもっぱら、というイメージがありますが、元々は観光客だったり、寺社参詣客だったり、多摩川の砂利を運んだりするために敷かれたものが多かった。その事実は柴又にも当てはまるようです。
帝釈堂の彫刻はじっくりと観たい
こちらがお寺のメインのお堂である帝釈堂。ここの内部は撮影NGでした。
ただ、お堂の外側の彫刻は撮影可です(彫刻の見学は有料。400円)。
ほんとこれが素晴らしい。一つ一つの作品に見事な立体感があって、よくこんなものを彫ったなあ、と感心します。
大正末期〜昭和9年にかけて製作されたもので、作品ごとに作者は違います。全て当時の名人に手によるものです。
作品のモチーフになっているのは法華経の説話。法華経に説かれている内容がヴィジュアル化されています。
三車火宅の図
こちらは燃え盛る家(火宅)から、3種類の車を使って子どもたちを助け出すシーン。車は子どもたちがかねてより欲しかった、羊と鹿と牛の車を使っている。
仏は人々に仏教を説くときに、人々の仏教の理解に応じて、適切な方便でその真意を伝える、という意味。
慈雨等潤の図
仏の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じ、という意味。雨を降らすために雷神・ 風神が現れ、地上にはその雨を受けて花々が咲き誇っています。
十二支&花鳥図
また壁面の最上段には、十二支が彫られています。これは今年の干支の猪。
また下段には、日本美術の伝統的なモチーフである花鳥が描かれています。
どの彫刻も生き生きとしていて、見てるだけで楽しくなってくる。
材料は全てケヤキ。今ではこれだけ立派なケヤキはなかなか手に入らないそうです。
ちょうど桜も見頃だった
境内の桜もまさに見頃で、これら見事な彫刻に花を添えていました。
昭和の名庭園も見られる
彫刻を鑑賞し、アートな気持ちが満足したら、そのまま庭園へ。周りを歩けるようになっていて、ほっこりできます。
作庭は昭和40年。関東の造園師では右に出るものはいない、と言われていた永井楽山(らくざん)が作庭しました。
最後に
帝釈天の彫刻は本当に見応えがあって、ちょっとした美術展覧会を見たくらいの満足感があります。有料ではありますが、アートが好きな方はぜひ!
帝釈天の小ネタ①〜おみくじを”釣る”〜
お寺の境内でユニークなおみくじを発見。
竿でおみくじ入りの鯛を釣ります。普段おみくじなんて滅多に引かないんですが、”釣ってみたい!”気持ちを押さえられずやってみました。
結果、大吉でたいへん満足。ちなみにお値段は300円です。傍らでよその子どもが、めちゃやりたそうにしてましたが、お母さんに厳しく制されてました。
帝釈天の小ネタ②〜中華もいいかも〜
帰り道の参道。小腹が減ったので、何か食べようと思いたちました。でもそばや天ぷらなどは観光地価格なのか、そこそこ高いんですよね。
そこで選んだのがこちらの中華料理「福園」。
参道とクロスしている車道沿いにありました。
休日だったので、17時までランチをやっていて、担々麺と半チャーハンのセットが680円でした。
担々麺もチャーハンも美味しかった。かつ安いし、サーブも早い。寺社を参詣して中華ってなかなか思いつきませんが、ここはおススメです。
それにしても東京の中華って安くて美味いのに、良心的な価格で提供するお店が多い気がする。