歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

本「稲の日本史」・感想

ニッポンの多様性のレベルを一つ上げる。

稲の日本史 (角川ソフィア文庫)

稲の日本史 (角川ソフィア文庫)

 

 

縄文・弥生の二項対立が消滅…

縄文時代は狩猟・採集。弥生時代になって、朝鮮半島から稲作文化を持った人が相当数やって来て日本は稲作農耕民に国になっていった…。

日本史の黎明期をそんなふうに捉えている人は多いのではないだろうか。ざっくり言うと少なくともこの本を読むまでの自分はそうだった。

しかしこの「稲の日本史」を読むとそんな日本史に対する二項対立的なイメージはどこかに消えてしまう。稲の歴史のイメージがもっと混沌としてくる。縄文時代と弥生時代はそんなに整然とは区別できない。お米そのものに対してのイメージもそうだ。お米はぼくらが食べているジャポニカ種とインディカ種(細長いパサパサの米)の2種類しかないと思っていたら、ジャポニカ種にも熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカがあると告げられる。だからお米のイメージも混沌としてくる。「ん?どういうことだ」と頭の中が一度、カオスになる。

しかし従来の歴史や米に対するイメージがスッキリ整理されたものであったというのは自分が単にモノを知らなかったということなのだ。頭の中に最新の研究を踏まえた知識を注入した結果、頭の中が混乱してくる、というのは歓迎しなきゃいけない、と思う。

とにかくこの本は従来の凝り固まった稲作へのイメージを覆してくれます。本の中で整理されている稲作の歴史に沿って、ポイントをまとめておきます。

 

イネのなかった時代

西日本では約6000年前より昔、東北日本では約3000年前より昔

生活の糧は狩猟と採集による。部分的には原始的な農業も。栽培されていたのは、ヒエ、クリ、ヒョウタン、アカザ(雑草。葉を茹でて食べることが出来る)、ゴボウ等。

縄文時代の日本列島はごく一部の地域を除くと森に覆われていた。森はミズナラ、ブナなど、ヒトの手を受けていない樹種から、クリを主体とする森に変わって来た。

 

縄文の要素が拡大した時代

西日本では約6000年前(縄文前期から中期)、東北日本では約3000年前(縄文後期)〜約2500年前ないし約2700年前まで(北海道、南九州と南西諸島を除く)

イネが列島の南西部では相当の広がりを見せ、食料生産の柱のひとつになっていた可能性が高い。ただ主食とまでは言えない。

イネが作られていた(おそらく)最古の証拠は、岡山市朝寝鼻貝塚で検出されたブランドオパール

※ブランドオパールとはイネの葉に溜まったガラス成分が地中から掘り出されたもの。このガラス成分のおかげで細長いイネの葉も比較的しゃんとした形を保つ。

この頃のイネは焼畑で作られていた(ここポイント!水田ではない!)。ゆえに畔や灌漑水路など水田の遺跡か発掘されないから、といってイネが耕作されていないことにはならない。

今でもラオスなどでは焼畑でイネを作る。2、3年耕作すると土地は「山に返す=休耕する」。

またそのラオスの焼畑には畔や水路、またクワやスキといった農具もあまり見られない。ゆえに農具が発掘されないから、といって稲作がなかったことにはならない。

イネの種は熱帯ジャポニカ。

 

縄文の要素と弥生の要素がせめぎあった時代

縄文の晩期から近世が始まる前まで(約1500年!長い!)

縄文晩期に水田稲作の技術が日本に持ち込まれる。この弥生要素は1500年かかって北海道の大半を除く日本列島のほぼ全体にゆきわたる。

イネは熱帯ジャポニカ種も温帯ジャポニカ種も並存する。熱帯ジャポニカは背が高く、過繁茂すると生産性が落ちる。それが熱帯ジャポニカの衰退につながる。

この時代、水田は従来のイメージほど、日本列島に広まっていたわけではない。水田耕作は重労働。

しかし支配層が少しずつ水田耕作を進めた。支配層にとっては限られた土地での生産性を上げたいから。焼畑の休耕などは生産性が落ちて都合が悪い。

鉄製農具の登場など農業技術上の変革も水田耕作を後押しした。逆に言うと鉄製農具がないとまともな水田耕作はできない(畔や水路が作れない)。そもそも木製農具だって作れない。

弥生時代の人びとにとってポピュラーな植物資源はドングリの仲間。イネは実はそれほど大きなウェイトを占めない。また骨の成分を調べてもさまざまな海の動植物を食べていた縄文人に近い。縄文と弥生の食生活にそれほどの断絶はない。

 

水田耕作が定着した時代

近世から近代初期

この時代にようやく今の日本に見られるような水田景観が広まった。 

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田植えの終わった水田(茨城県)

稲作の近代化

近代から現代

弥生の要素と西洋文明の要素がハイブリッドされた。生産量が飛躍的に伸びた。

 

ざっくりまとめてみましたが今までの縄文=狩猟・採集、弥生=水田稲作のよりだいぶ豊穣な日本列島の歴史イメージが得られるのではないだろうか。

また今、日本各地で目にすることが出来る水田も、ある悠久の歴史を経て来てこのような景観になったわけで、縄文時代にタイムマシンで飛べば、焼畑の土の上に稲が成っている姿を目にすることができるかもしれない。空想の中でも日本の多様性のレベルがひとつ上がって何だか楽しい。