歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

本「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.」・感想

なぜ今、コミニュティなのか?コミニュティはどうすれば形成できるのか? 

WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)
 

 

この本の著者は?

佐渡島庸平さん。講談社の敏腕編集者として「バカボンド」「ドラゴン桜」「働きマン」等々のヒット作を世に送り出し、その後独立して「コルク」という会社を立ち上げ、自分流の方法でマンガ・小説などのプロデュースをされているコンテンツ・メディアの最前線を走る続けていらっしゃる方だ。

ご本人の発言はツイッター等で常にチェックしているし、昨年世に出されたマンガ「君たちはどう生きるか」はたいへん面白かった。岩波文庫に入っている同名の作品を、岩波文庫をチェックしているような一部の読書人から解放し、マンガという別の媒体で生まれ変わらせて世の中に流通させるその手法はとても鮮やかだった。

 

※「君たちはどう生きるか」の感想はこちら。

www.rekishitantei.com

 

そんな佐渡島さんが”コミュニティ”についての本を出されるという。

どうしてこの本を手に取ったのか?

今、コミニュティがアツい。「モノを売る」という活動についてコミュニティの果たす役割も非常に大きいといわれる。各企業も自分たちの企業・商品に関するコミュニティを形成しようと努力していて、コミュニティから顧客のニーズなどの情報を吸い上げたり、コミュニティの口コミ効果を期待して商品情報をまいたり、直接商品を売ったりしている。

実は自分も放送局にいながら、従来の放送を補完するものとして地方局を中心にコミュニティを形成する仕事の細々と従事している。だから今、コミュニティについてはとっても関心がある。しかし、実際のコミニュティの形成は全然うまくいっていない。今までの放送局の仕事には全くない種類のものだから、どうすればいいんだか、ほとんど検討がつかない。また放送局上層部の理解も得られない(理解しようとしない)。ゆえに十分なリソースも投下されず、日々の仕事でも評価されない。ため息をつく日々である。ほんと日本の大企業で新しいことを始めるのは難しいですね。

それはさておき…

そんな状況の中、コミュニティについて何か指針となるような本はないもんかね…と思っていたところに佐渡島さんの本が出版されるというので、早速買ってみた。佐渡島さんだったら、シャープにコミュニティを分析し、コミュニティ形成のための処方箋を提示してくれるのでは、と考えた。

 

読んでみてどうだったか?

コミニュティに関してはもちろんのこと、ネットが普及して以後の社会の変化に関する、佐渡島さんの”気づき”が実によく整理されていて、得られるものの多い本でした。そして分析面のみならず、コミニュティ形成する際の指針としても極めて実践的な内容が詰まっていた。それは佐渡島さんが現実に「コルクラボ」というコミニュティを立ち上げて運営しつつ書かれているからで、理論として練り上げられているわけではないけれど、有益なtipsとして明日からそのまま使える!みたいな内容が多かったです。

 

自分なりに刺さった箇所をまとめておきます。

(必ずしも本に書かれている順番通りではありません)

 

インターネットが社会を変えた

全てを”なめらか”にするインターネット

現代におけるコミニュティを考えるうえで、その基底条件となっているのがインターネットの存在。しかもスマホ以後(iPhone登場は2007年)の常時ネット接続状態の社会を念頭におく必要がある。

インターネットは我々の欲望をなめらかにかなえてくれる。今までだったら、遠くで出かけていて歩き疲れて車に乗ろうと思ったら、タクシーを拾うか電話で呼ばないといけなかった。でもUberが普及している場所(日本ではわずかだが)だと、自分にいちばん近い乗用車を呼び出すことができる。Amazonも便利。お店の空いている時間にこちらが合わせなくても、必要な時に必要なモノが買える。社会に自分の欲望を合わせるのでなく、自分の欲望に社会の方がなめらかに合わせに来てくれる。

クリエイターのデビューもなめらかに。漫画家だと、以前は新人賞の受賞→読み切りの連載→連載の開始、と3つの壁を越えないとプロの漫画家として食べてはいけなかった。今はツイッターで漫画を発表→読者からのフィードバックでゆるやかに成長→フォロワーが増えていて気がつくと専業で食べていける、という道がある。

 

メディアの中心がマスメディアからネットへ変わると、小説の描写も変化する

マスメディアの時代は「○○を身にまとう人は○○な人」「○○の会社の人は〇〇な人」のように社会全体で同じイメージ(共通認識)を共有しやすかった。ゆえに小説上の風景描写、人物描写をすればどういう人物像かが比較的よく伝わった。しかし「登場人物が○○を持っている」という描写がその人のイメージを豊かに伝える時代は終わった。○○に対する人々のイメージが違いすぎて共通認識として実を結ばない。その人が「何を持っているか」「どこに所属しているか」ではなく「その人はどんな価値基準か」にアイデンティティは宿る時代になった。

 

インターネットがコミニュティの可能性を広げた

従来の地縁・血縁のコミニュティでは「自由と安心」がトレードオフの関係にあった。自由に振る舞おうとすると、コミニュティのルール・空気に抵触し自由には振る舞えない。結果、コミニュティで居心地が悪くなり、安心が失われる。逆にコミニュティのルール・空気に従えば安心ではあるが、自由ではいられない。しかしインターネットを使った「好き」を媒介にできたコミニュティならば「自由と安心」は並び立つかもしれない。

 

インターネットがコミニュティの必然性を呼び寄せた

ネット上を行き交う情報が爆発的に多くなった現代。一つ一つの情報を取捨選択すると意思エネルギーも消耗するし、自由すぎるがゆえに選択の責任を全て自分で負わなくてはいけなくなる。コミニュティに入る時だけに選択をし、それ以降はコミニュティ内で流通する情報だけに触れているようにすれば、自分の意思決定の負担を減らせる(ある意味口コミの時代に戻った?)。

 

オープンなSNSがコミニュティの必然性を呼び寄せた

オープンなSNSには自分と正反対な意見、過激な意見もある。またリア充すぎる人の投稿を見て落ち込むこともある。しかしコミニュティだとお互いの素性がある程度わかっているため、そのようなリスクにさらされることが少ない。リアルな場だと自然に行なっているこのようなリスクを避ける工夫を、コミニュティを通じてオンライン上で行う必要がある。

またモノも溢れた現代、人々の一番の欲望は「関係性」に向けられている。N対Nで複数の関係性が築けたならば人々はそこに自分の居場所を感じる。

 

コミニュティが欲望を生む

人は必ずしも自分も欲望を把握していない。しかしコミニュティの中のコミニケーションを通じて欲望が喚起されることがある。その欲望はもはや直接役に立つものでなくてよい。

例。酒蔵が作る保存料の入っていない日本酒がある。保存料が入っていないから、その日本酒が届く日取りは決まっていて、その日に飲んでしまわないといけない。すると、消費者はその日に日本酒のホームパーティーを計画する。それがその酒蔵コミニュティの毎年恒例のイベントになる…。

モノ=日本酒をコミニケーションの中で売るとそのモノの購入がきっかけとなって体験が生み出せる。そしてその体験に参加したいという欲望も生まれる。

もう一つの例。マンガ「宇宙兄弟」の「惑星ヘアピン」がコルクコミニュティで人気が出た。マンガの中でそのヘアピンをつけることで登場人物の気持ちが「ビシッ」とする描写がある。購入者はその「ビシッ」となる気持ちが欲しくてグッズが買っていた。商品が宇宙兄弟の世界をより深く理解する、という欲望を叶えてくれる。

 

コンテンツのファンコミニュティは質×親近感×ファンの数

情報爆発の現代、コンテンツは質だけでは測れない。質が良いのが1次元とすると、親近感は2次元(これをテレビに置き換えて解釈すると、コンテンツに合ったタレントを起用することが親近感が生み出すことにつながる)それにファン数を掛け合わせた3次元でファンコミニュティは成り立っている。

 

ファンコミニュティは自発的なもの

ファンコミニュティではほぼすべての情報(制作過程など)をオープンにし、ファンがその情報を自由の受容したり発信したりと、彼らの自発性を重要視する。運営側は彼らがスムーズに動けるようにファシリテーションする。

 

コミュニティの第一歩は「安全・安心」から

コミュニティ内の人がどのように振る舞うのか。予測可能なものにして、参加者が「安全・安心」を感じられるようにすることが、コミュニティの第一歩。

これはコミュニティで提供されるコンテンツにも言えること。面白いと予想できる作品でないと、ユーザーの安全と安心が確保されない。最近のヒット作は、名作と知られているが詳細は知られていないリミックスが多い(「君たちはどう生きるか」もまさにこの例だろう)。現代人にとってはお金より時間が重要。つまらない作品で時間を無駄にされたくない意識が強い。そういう不安を払拭するためにも過去の評価は大切。

コミュニティの新メンバーは新しい場所が不安だから元メンバーに安全・安心を確保してほしいと思いがち。また元メンバーは新メンバーが入ってきてコミュニティの文化が書き換えられないか不安にかられることも。各メンバーがどの段階で不安を感じるかよく注意しながら安全・安心の確保に努める必要がある。

またお互いをよく知ることも不安を低減することにつながる。自己紹介は何度もやってよい。自己紹介は自分のためでなく、周りの人のためなのだから。

 

コミュニティには「静かな熱狂」が必要

静かな熱狂とはメンバーのモチベーションが高い状態のこと。自分はこのコミュニティにいる価値があると思い、自分の役割があると感じ、その役割には社会的意義があると思い、自分が成長できると考えている状態。

またこの静かな熱狂=高いモチベーションのためにも自己紹介=自分の物語を語る行為は大切。自分の立ち位置がわかってこそ、このコミュニティを通じて自分がどこに行きたいかがわかるから。自分の目的地が分かればそこへ向かう手段について考えられ、モチベーションが高くなるから。

 

プロジェクトは芋づる式に

面白い企画を思いついたら、まず一人を誘う。そして次に一緒のモチベーションで動いてくれる仲間を一人誘う。二人になったら二人が一人ずつ誘って4人になる…4人が8人に…のように一人が一人だけを誘う形で仲間を引き入れるのがコミュニティでプロジェクトを動かすコツ。そうすれば一人対一人の信頼関係も生まれる。信頼関係は一人対多では生まれ得ない。

 

コミュニティ参加者の役割を設計しておく

コミュニティに入って何でもできる、と言われると参加者は困ってしまう。最初に何をやればいいか設計しておくと安全・安心の確保につながる。

マンガ「ドラゴン桜」の中のたとえ。砂場で、ほとんど完成しているピラミッドが放置されていると、横を通る人が次々に関与し完成させていく。しかし、真っ平らな砂場を見て、そこかピラミッドを作るために足を止める人はいない。

コミュニティ運営のための役割も設計しておく。学校がコミュニティとして成り立っているのは文化祭、運動会、クラス委員など行事があるから。コミュニティ運営の際も学校行事に置き換えられるイベントを作っておく。

 

コミュニティでのコンテンツ制作は「アップデート主義」で

コミュニティでは不完全な情報でもまずは開示・伝達し、そこから修正を加えていくべき=アップデート主義(これと対照的なのが「納品主義」。完璧な作品になるまで世に出さない。テレビ、書籍など)。皆が常時ネットにつながる時代なのでそれが可能。そうすることで、メンバーの参加意識も高まる。

この事態は一つ一つのコミュニケーションの長さも変えた。コミュニティにおけるコミュニケーションは短いメッセージがたくさん行き交うほうがよい。堀江さん(ホリエモン)のサロンでは長文投稿の禁止のルールまである。

「一回のコミュニケーションで完璧に」から「不完全な短いコミュニケーションを何度も」への変化だ。

またこれからの編集者はコミュニティを形成し、どれくらいのレベルの未熟なコンテンツを投げ込むか、そのバランス感覚が大切。未熟すぎるとコンテンツに成長せず、完成度が高すぎるとコミュニティが活性化しないから。

 

まとめようと思いつつ、相当なヴォリュームになってしまった…

 

こんな人にオススメ!

今、どの企業・組織でも意識が時代に向き合っている人はコミュニティについて考えざるを得ないと思います。そんな人がコミュニティについて考える第一歩にこの本はピッタリ。また実践的なアドバイスも豊富なので、実際にコミュニティ運営しながら、困ったときのお助け本としてこの本を開いてみるのもアリだと思います。

 

 

※地方創生の分野では、ある特定の地方のファンのことを最近「関係人口」というワードで表現するようになっています。関係人口もある意味、コミニュティに似ている。

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