藝大で考えるアートとは。そして人間とは。
2016年発売 話題になったのは知っていた
仕事で東京藝術大学(藝大)のことを少し調べる必要がありました。そこで手に取ってみたのがこの本。
少し前に藝大生のカオスな生態を描いてベストセラーになったことは記憶の片隅に残っていました。読んでみると、藝大生の生態自体も確かに面白いのですが、それに加えて「藝大って何するところ?」「そもそもアートとは…」など芸術と藝大にまつわるさまざまなトピックをバランス良く扱っていて、たいへん読み応えのある本でした。
印象に残ったポイントと感想をまとめておきます。
著者はこんな人
書いているのは二宮敦人(にのみや・あつと)さん。この方のことは今回初めて知りましたが小説家の方です。ふだんはホラー、エンタメ小説を手がけているとか。この本は著者初のノンフィクション。
著者の奥さまが東京藝大・彫刻科の現役の学生さんで、その生態がとにかく面白い(アパートで木彫りの亀を作る、半紙を自分の顔に貼り、糊で固めて自分自身の型をとる等)ので、「そんな妻が通う藝大とはいったいどういうところなんだ?」という興味・関心で藝大について調べて始め、多数の学生さんへのインタビューをもとに一冊の本としてまとまったということらしいです。
藝大についての基礎知識を得る
東京藝大は2つの学部から成り立っていて、キャンパスも分かれています。絵画、彫刻、工芸、建築…を学ぶ美術学部(=美校と呼ばれる)とクラシックや邦楽を学ぶ音楽学部(=音校と呼ばれる)です。2つのキャンパスは道で隔てられていて、それぞのキャンパスに入っていく人たちの見た目が全然違うと著者は言います。ざっくり要約すると音校に入っていく人は爽やかできちんとしている、美校に入っていく人は個性的だったり、外見に気を遣っていない感じだとか。藝大生ということでどこか浮世離れしていて個性が強そう…などと一括りにしてしまいがちですが、美術と音楽、どちらを専攻するかで相当違うんですね。
その他、演奏会・コンクール等で順位をつけられることを強いられる音楽部学生と、自分の作品と向き合う時間が多くどこか雰囲気もユルい美術部学生等、あらゆる点で対照的な両学部です。
美術と音楽の”裏側”を知る
この本が面白いのは、美術作品自体の魅力や音楽演奏の質といったアートでよく論じられるテーマはほとんど登場せず、それらの裏側にあって芸術を支えているものについての言及が多いところ。
例えば漆芸(しつげい。漆の工芸)専攻の学生さんの話。一つの器に漆を塗って完成させるのにも、漆を塗って乾かして塗って乾かして塗って乾かして…いうのを二十工程くらい繰り返すそうです。そりゃ一級の漆塗りの器が高いはずです。今度、漆の工芸展に行ったら今まで以上にそのありがたさを感じられそう。
また音楽の分野でいうとヴァイオリン奏者の骨格の話も面白い。ヴァイオリンは顎に当てて弾くため顔の左右が対称でなくなったり、足や腰の左右のバランスが変わっていったりするそう。良い演奏のために楽器に体を合わせていく必要がある、ということ。何かを突きつめていく人のある種の凄みを感じます。
この手の芸術にたずさわる人間のナマなエピソードっていわゆる芸術理論や芸術史を扱った本には出てきません。でもそれらの話に触れたことで、芸術を全然違った角度から理解したり感じたりできるようになった気がします。
世の中のモノは全て誰かが”作っている”
美術学部の人はモノを作るのが本分。だから何でも作ってしまうといいます。例えば彫刻の作品を作るのは当たり前としてもその材料を掘るためのノミも自作するとか。他にも工芸科鍛金(たんきん。簡単に言うと鍛冶屋さんがやっていること)専攻の学生さんは金属を叩くための金槌も既製品を買ってきて手を加えるそうです。
このひたすらモノを作る人たちについての文章を読んでいて気づいたのが「世の中の人工物って全て人間が作っている(もしくはデザインしている)んだ…」と事実。誰かが目的を持って、あーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返しながら、世界に新しいカタチのものを一つ付け加える、それがモノを作るということ。本を一旦置いて視線を上げてみると、確かに目に入ってくるもの全てがその過程を経ていると分かります。電気スタンドも紙コップも机も、この部屋も建物も全て人が生み出したものなんだ…。そんなことを思ってしまった。世の中の新しい見方を獲得できたような気がします。
アートジャンル別人間学
モノを作るにしても音を奏でるにしても自分の心や感性と向かい合わないといけないのが芸術。自分の個性を殺して定型的な仕事をする分野の営みとは違います。ゆえに芸術家のアウトプットには必然、その人のパーソナリティが刻印される。そして同じジャンルの芸術をやってる人はどこか似てきてしまうものらしいです。
いわく、”学内で最も個性が強い””大人の幼稚園”のような油絵専攻、”藝大で最もチャラい””しかし一本芯の通ったチャラさ”の声楽科、”働くのが好きな人が多い”デザイン科等々。身の回りの人間がどんな芸術を好きかによって性格を判断するのにも役立ちそうだ。
最後に
東京藝大生のインタビューを通じて、アートってなんだろう?人間て…?みたいに自然と思考の地平が開かれていくこの本。藝大に関心がある人はもちろんのことアートや音楽が好きな人にも広くおススメです。
※藝大の学祭=藝祭(げいさい)、最高に楽しいイベントです。