地形、水、そして人の生活。ブラタモリらしいパーツがカチッと組み合わさった佳作だった。
田園調布。東京、いや日本を代表する高級住宅街として誰もが思い浮かべるその地名。関西だと一番近い存在なのは芦屋だろうか。ただ正直、関西人で田園調布に行ったことがある人は少ないと思う。用事があって行くような街ではないので。それは田園調布以外に住んでいる東京人にとっても同じかもしれないけど。
ただ、昨今の共働き世帯の増加で、東京の宅地としての人気は豊洲など湾岸のタワーマンションに移っている、とも言われる。事実、2016年放送の「ビートたけしのTVタックル」では田園調布で増加する「空き家問題」が取り上げられていた。
このような”高級住宅街の栄枯盛衰問題”はどの程度取り上げられるのだろう、と勘ぐりつつ見始める。
タモリさんと近江アナウンサーの会話。ロケ地がタモリさんの散歩コースであることが明かされる。「ふだんよく知っている土地であるが故に、どこに連れていってくれるんだろう」といったタモリさんの好奇心がうずいている感じがいいな、と思いきや「田園調布で気になるところはあるか?」との問いには「ない!」と即答。いつもながらタモリさんの番組冒頭の興味なさげ発言は、番組のキックスタート的には好都合。タモリさんの関心メーターが振り切れていく過程が、そのまま視聴者を惹きつける。
今回の番組テーマは「田園調布はどのように超高級住宅街になったのか」。奇をてらわずド直球で来た感がある。
ロケ出発点の駅前で大田区立郷土博物館の学芸員さん登場。 田園調布の歴史が出来る前は畑だったこと、この街が100年の歴史を持つことが告げられる。一面に植物が繁茂する古写真にはインパクトあり。
田園調布は「駅からすぐに住宅街」とサラッとコメントするタモリさん。おそらく台本ではないだろう。こういう”気づく人には気づくが、気づかない人には気づかない街の特徴”を読み解く視点を持っているのがタモリさんのすごさ。他の人では代わりができない。
この後、田園調布の道が緩やかにカーブしていること、この街が渋沢秀雄(渋沢栄一の息子)によって開発されたこと。道に面した障壁は生垣であるため、道がカーブしていることとあいまって、歩行者の視点に中心には必ず緑が来ること、などのシーンが展開する。
しかし理屈を語るための都合が前面に出てしまっている気がして、いまいち引き込まれなかった。画面自体に生気がないというか…。話自体は面白いのだけど、
続いて、街の中心部で唯一、分譲当時の姿を維持している築83年の住宅を訪ねる(現在は食器や生活道具を販売するショップ)。かつては皇太子妃の雅子さまが書道教室に通われた家だそうだ。民放だったら、もっと大々的に取り上げそうなネタだけど、ブラタモリでは軽く触れるだけ。皇族のエピソードだからと言って、ミーハーに流れないのがいい。
番組としてはこのシーンから、にわかに面白さが増したように思う。実際に田園調布の歴史を感じられる事物(=住宅)を目の当たりにできるからだろうか。80年あまり昔の家が現代でも使われている、という時間を超えた”つながり感”。手で触れられる歴史に勝てるものはない。
続いては「地形の話」。実際に歩いて田園調布のアップダウンを感じる。高低差が激しいこの街からバイクの出前が始まった、というネタは純粋に「へえ!」と感心。
その出前のバイクに案内されたお蕎麦屋さんに行ってみるとそこの屋号が「兵隊家」で、以下…
→退役した軍人さんが始めたお蕎麦屋さん→関東大震災以後、地盤の強い田園調布の台地が軍人に人気の住宅地となる→日本を代表する高級住宅地へという構成上の流れは非常に美しかった。「軍人に好まれた住宅地だった」事実から「兵隊家」を探してこの構成にしたのか、はたまた逆にあのお蕎麦屋さんがあったからこの流れになったのか。いずれにせよ計算された構成が番組の完成度を上げる一つの見本のよう。
あとタモリさんが、周辺にある軍事上の施設ということで「海軍技術研究所」とか「陸軍練兵場」とか次々に答えていたのは、”さすが”のひと言。
国分寺崖線という話が出て、にやにや笑顔のタモリさんがやってきたのは多摩川のほとり。足下に広がる雄大と言ってもいいくらいの多摩川の風景が美しい。ここには往時50基以上の古墳があったという。ここを歩く途中で、タモリさんが東横線の電車がカーブを曲がる際に出す音に注目するところが面白い。話の本筋には関係ないけれど、楽しそうに話すタモリさんの笑顔で全てをOK。やはり出演者が歩くと偶然こういうシーンが生まれるのがいい。立ち止まって話をしているシーンが長く続くとこうはいかない。
ロケは”えいやっ”とばかりに田園調布駅の東口へ。
東側は住宅地として開発された西側と違いお店が並ぶ商業地。こちらには、自然の斜面を客席に利用した野球場、水が湧くため水田にしか利用できなかった場所を逆手にとって水族館が作られていたスポットなどが紹介される。いちばんグッときたのは、かつて遊園地(多摩川園)で人気があったという滑り台が現在は長〜い階段になっていたこと。ここは地形を利用した元祖絶叫マシーンだったという。先ほどの築83年の住宅ではないが、やはり在りし日を想像できる痕跡が遺っているのは貴い。
田園調布のような人の生活がある周辺では、自然の地形や水が人間によってうまく取り込まれ、それらがやがては歴史をしのぶ”よすが”になっていく。ブラタモリを見ながらいちばん味わいたい感情(感傷)である。
今、人気の湾岸タワーマンション。その周囲で100年後、ブラタモリできるだろうか。