編集室で編集しているTVディレクターは、視聴者は”徹底的に受動的な存在”だと想定している。
例えば…
中学生でもわかるように説明しろ
という言葉がある。実際に編集室で上司やプロデューサー(=出来上がった編集を見てディレクターにあれこれ修正を指示する立場の人)に何度も言われた。向こう(視聴者)はひたすらこちらの与える情報を受け取るだけの存在なのだから、中学生でも分かるくらい情報は嚙み砕いてつたえるべし、という意味である。
ただスマホ以後、編集室におけるこの視聴者像の想定は本当は怪しい。スマホを使える人なら誰だって、分からないことがあれば手元で検索して調べることができる。だから番組の情報の”難度”を少し上げてもいいのに、現実はあまりそうはなっていない。相も変わらず
視聴者はテレビの前に座り、しっかりとテレビ画面を凝視して、一つ一つナレーションに耳を傾け、アタマから順番に物事を理解していく
そういう存在として位置づけられている(NHKのドキュメンタリーは間違いなくそう。ただしそういう風潮にノーナレなどは風穴を開けているが)。現在、そういう視聴者と思しき存在は、スマホなど覚束ない一部の高齢者だけだ。現在、テレビがシニア向けメディアと言われてしまうのもむべなるかな、である。
一つ、思いついた。
少々難しいことを扱うドキュメンタリーでも教養番組でも、全ての説明を加えていくと、スピード感が落ちたり、クドくなってしまうような時に、テロップで
「お手持ちのスマホで〇〇、〇〇、〇〇などのキーワードを検索していただきつつご覧いただくと、より理解していただきやすくなります」
などと挿入するのはどうだろう…。
でもダメだな。「その検索先の情報が正しいと、ウチの局が責任を持てるのか」と上層部から言われてしまう。
ま、それはそれで正しいのだ。情報の正確性・信頼性は放送局がネットに対して優位でいられる数少ない要素だから。
でもそのリンク先を放送局のHPに指定しておいて、そこに記載されている情報は全てファクトチェックしてある、という状態を作り出せば成り立つのかも…。
なぜこんなことをつらつら考えているか、というと、下記の記事の中でSHOWROOM株式会社代表の前田裕二さんが
これからのテレビは、自己否定をしてでも、インタラクティブなコンテンツを生み出すことが必要
と話されていたから。
前田さんの言葉を受けて、自分がよく見聞き知っている編集室の現場で何ができるか、思考実験してみようと思った。
人間にとって主体性(自分の意志で動けること)はやはり大事。自分でボタン押したりクリックしたりして今、目にしているコンテンツの状況を変える(動画を再生する、消す、別の動画に移る、検索する…等々)ことができるのは単純に気持ちいい。
逆にこれが出来ないとスマホ時代の人間はイライラしてしまうだろう。自分なんかは完全にそうだ(仕事であったとしても73分番組の試写など相当苦痛。「73分集中して番組見てる奴なんてイマドキおるかい!」と心の中で100回くらいつぶやいている)。
テレビは「視聴者はこの主体性持っていない」という想定で番組を制作してしまっているから時代とズレている。
一方で、人間は常に主体性ばかり要求されてもツラい。たまにはダラっとコンテンツを楽しみたい。だからAmazon EchoみたいなAIスピーカーだとシャッフル再生でよかったり。
記事の中で落合陽一さん(筑波大准教授)は、「能動的にメディアに接する時間=ゲーム」と「受動的にメディアに接する時間=テレビ、ラジオ」を切り分けていると話されていた。さらにテレビは、視聴者がメディアに集中しているか、いないかで内容を変えてみても面白いかも、とも。
視聴者を年代別、性別で捉えることは今の放送局でもやっているはず。それに加えて視聴者の”主体性の状況(能動的なのか、受動的なのか)”というモノサシも番組企画を考えるときに取り入れてもいいのかもしれない。