歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

『名作誕生ーつながる日本美術』@東京国立博物館・感想

日本美術を堪能するためのもう一つの眼。 

f:id:candyken:20180415094036j:plain

 

美術作品がつながる楽しさ

特別展『名作誕生ーつながる日本美術』に行ってみました。タイトルに"つながる"と入れているあたり、美術を通じて、日本の他分野の文化や歴史とどんな"つながり"を用意してくれるんだろうと期待度は高かった。

実際行ってみると、予期に反せずとても面白かったです。ごくふつうの、通り一辺倒の日本美術史では取り上げられない角度からの解説がとてもオイシく、日本美術を観るうえでの新たな眼を獲得できた気がします。

逆に言うと、この展覧会のキュレーターが伝えたい美術史上の主題を、最もよく伝えている作品が選ばれているので、"眼を見張る"ような傑作がズラリ並んでいる、というわけではないです。なので「ある傑作の一つを狙いすまして、じっくり鑑賞」のスタイルよりも、それぞれの解説をしっかり読んで、ある作品の"つながり"を確認しながら、前後の作品も行きつ戻りつしつつ鑑賞するのが楽しい。そういう意味ではしっかり時間の余裕がある時に行った方がいいかもしれない。

というわけで、割とみっちり見たら2時間程度かかってしまった充実の展覧会なので、ここでは自分がグッと来たり、「ほほう〜なるほど…」と思ったポイントをまとめてみたいと思います。

なお自分が訪れたのは4月13日(土)の18時ごろ(金・土は2100まで開館している)。館内はけっこう空いていて、東京の展覧会にしてはかなり快適に鑑賞できました。チケットも行きの電車の中などでオンラインで買っちゃうとラクです。

 

木の仏像は”鑑真のおかげ?!"

今回の展覧会でいきなり「へえ~」と思ったのが、一番最初の【テーマ1「一木の祈り」】の解説で

木の仏像が主流になるきっかけは、鑑真の渡来に関係がある。鑑真に伴った工人が木で仏像をつくったと考えられるのである。中国の工人は、中国では石で仏像をつくっていたが、日本には彫刻に適した石がなかったため、石の代わりに木に注目したのである。日本には等身大の仏像を彫り出せる大木が豊富にあった。

と書かれていたこと。木の仏像って、森林資源豊かな日本に住む日本人が始めたものだと思っていたのに中国人が始めたことだったとは…。周りに資源があったとしてもその価値が分かる人がいないとモノを作り出せないのですね。中国人が素材としての木の価値を発見してくれたおかげで、日本では木の傑作仏像がたくさん生み出されることになった。これも鑑真が命がけで海を渡ってくれたおかげです。

その事実を知ってからこの一角の仏像を見ると、改めて木の仏像が醸す重量感が迫ってきます。

 

”分っかりやすい”和洋折衷

続いての【テーマ2「祈る普賢」】の主役は絵画・彫像の「普賢菩薩」

普賢菩薩は”諸経の王”とも言われる「法華経」を護持するものを救済するとされます。その普賢菩薩の周りに、こちらも行者を守るものとされる「十羅刹女(じゅうらせつにょ)」という女性が複数描かれる構図があるんですが、最初唐の服装だった女性たちが、同じ構図が描かれるうち、日本の宮廷女性の衣服で描かれるようになっていくんです。これには”こんなにわかりやすく和洋折衷していくのか”という驚きがありました。普賢菩薩は像に乗る、という状態でインドふうなままなのに、周りの女性たちだけが日本化しています。

f:id:candyken:20180419022821j:plain

普賢十羅刹女像(鎌倉時代)

雪舟は中国に学んだ

【テーマ4「雪舟と中国」】という日本の傑出した画僧・雪舟と中国とのつながりがそのままズバリ語られている一角もあります。

雪舟が中国画を学ぶために明に渡ったのは広く知られていると思うんですが、今回の展覧会では雪舟の絵と、彼が真似よう(学ぼう)とした南宋の画家・玉澗の作品が並べられているので、雪舟が彼の国の作品のどのポイントを盗もうとしたのか一目瞭然でした。美術史で「雪舟は○○の影響を受けた…」というような説明はよく見るけど、それを実際も作品で示してくれているのは贅沢です。

  

日本美術の”先人たち・作品たちとのつながり”

また、かの「風神雷神図屏風」で有名な江戸時代初期の京都の絵師・俵屋宗達が示す”つながり”も面白い(【テーマ5「宗達と古典」 】)。

俵屋宗達は、扇の面を屏風に貼り付ける「扇面散図屏風」という工芸作品を製作しています。

f:id:candyken:20180419022817j:plain

扇面散屏風(俵屋宗達筆)

まずその扇面の絵は平安時代末期の戦乱を描いた「平治物語絵巻」に取材。もともとの横長の絵巻から自分の狙いにしたがってある構図を”トリミング”しているわけです。

そのトリミングされた絵が載っている扇をさらに屏風に”コラージュ”。トリミングとコラージュとはまさにポップアートのよう。その屏風の前で京都の富裕な町人は、その”当時のモダンアート”であった屏風の前で、扇の絵柄を愛でつつ古(いにしえ)の合戦について語りあったのかも。

【テーマ6「若冲と模倣」】において伊藤若冲の作品をめぐって語られるのは”鶴・鶏のポーズのつながり”。明の時代の鶴のポーズを繰り返し模写しつつ、自分なりの羽毛の表現を獲得していった様子、また自分が気に入った鶏のポーズを何度も繰り返して描く様子など、同じモチーフを並べて鑑賞することで、偉大な画才がどのように成長していくか感じることができます。

鶴が舞い降りるポーズなどは狩野探幽も描いていて、巨匠による微細な表現の違いなどを比べてみるのも楽しい。

 

古典文学とのつながり 

古典文学については「伊勢物語」「源氏物語」について言及されている。

【テーマ7「伊勢物語」】燕子花(かきつばた)が咲き乱れる沢に渡される橋が描かれる「八橋(やつはし)」という場面は、絵画にはもちろんのこと、硯箱のモチーフとしても用いられます(「八橋蒔絵螺鈿硯箱」尾形光琳作)。

f:id:candyken:20180419022814j:plain

八橋蒔絵螺鈿硯箱(尾形光琳作)

この硯箱のことは知識としては知ってはいたし展示も見たことがありましたが、”古典文学とのつながり”の中で語られるとその魅力が10倍増しました。

今までの美術史の解説でも伊勢物語の一場面とは語られていたと思いますが、やはりその硯箱の前にその物語中のワンシーンの絵画を展示してもらえると、そのモチーフの魅力が、受け手への浸透してくる力が全然違う。同じ「八橋」の場面は打掛などの染織にも用いられます。しかし人物は描かれず、主人公の在原業平は冠を橋の上に置くことで表現される。「日本美術では人物をこんな省略表現するのか…」と発見でした。

源氏物語も「夕顔」「初音帖」というヴィジュアル的に印象的なシーンがモチーフとして絵画、染織、漆工など様々に展開します【テーマ8「源氏物語」】。昔の人(地位もお金もある人限定だが)は身の回りの具体的な”ブツ”から古典の教養を学んだんだなあ、というのを実感。今でいうならディズニーのおもちゃ・ぬいぐるみから童話を学ぶようなものでしょうか。いずれにせよ日本美術を深く楽しく味わうには古典文学の知識を身につけた方がいいと思いました。角田光代訳の「源氏物語」でも読んでみるか…。

 

そのほか新鮮だった美術史的知識

上記に記した”つながり”以外にも魅力的なウンチクが散りばめられていました。春の桜、秋の紅葉は同じ作品中に描かれることがあり俗に「雲錦手(うんきんで) 」と呼ぶとか、蓮の花は古くから鴨・おしどりと描かれることが多くそのモチーフは「蓮池水禽(れんちすいきん)」と呼ぶとか、「洛中洛外図屏風」は人物中の視線の交わし方から心理がうかがい知れるとか。。今までの展覧会の語り口とは異なる角度からの解説満載で最後まで飽きることはなかったです。

 

司馬遼太郎 絵画について語る

美術に造詣の深かった歴史作家・司馬遼太郎は紀行文・街道をゆくの「飛騨紀行」編の中でこんなことを言っています。

絵画ほど天才を必要とするものはない。

一人の天才が出て、百人の模倣者がそれを取り巻き、天才がつくりだした諸典型をまねしつつひろめてゆくものなのである。

たとえば、一人の平凡な絵師がウシを描くとする。ウシの形は、つかまえどころがない。ナマで容易に描けるものではなく、ウシを眼前で写生しているときも、かつて天才が描いたウシを脳裏におもいうかべ、実際には現実のウシを見ず、脳裏のウシを見ず、脳裏のウシを絵どってゆく。当人は写生しているつもりでも、奥底では天才の”型”を模写しているのである。

今回の展覧会を見て、司馬の言うことの正確さを思いました。天才にだって(だからこそ?)先人は必要だ。

 

日本美術の基本的な疑問に応える展覧会。でも意外と知らない話。

www.rekishitantei.com