亥年の年頭に「猪」を学ぶ
亥年の念頭に「猪」を学ぶ
お正月の3日まで働き、遅めの冬休みをもらっている1月の第3週。気になる展覧会が東京国立博物館で開催されているので、行ってきました。
それが「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」。
今年はいのしし年(亥年)。その年頭にあたり、猪が日本人の文化でどう表現されてきたか、様々な文化財を通じて探っていこう、と試みです。
ある時代(平安時代とか)やテーマ(仏教美術全般とか)を特集している展示はありますが、「猪」にまで、トピックを絞った展覧会はなかなかないですよね。
どんなことを教えてくれるんだろう、と思ってワクワクしながら上野に向かいました。
年始の空気は日常へ 東博に向かう
訪れたのは平日、1月10日(木)の午後3時ごろ。年始の寿いだ空気もそろそろ街から失せ、いつもの東京に戻ってきている感じがしました。
が、東博の門前には、立派な門松が!
さすが日本一のミュージアム。門松も相当立派です。
その”イノシシ展示”の会場は東博の本館2階でした。
ちなみに、東博の本館、日本伝統の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えた和洋折衷の建築となっています。
展示はとてもコンパクト
展示は2部屋に分かれていますが、規模自体はとてもコンパクト。なので、じっくり見ても小一時間くらいあれば十分。サクッと楽しめます。
なお、写真は基本的にフリーでした。この展示に限らず、東博の展示はNGマークが付されていない限り、撮影OKだそうです。ブログを書く身にとってはありがたい。
グッと来た「猪」はこれだ!
全部で6つのセクションに分かれていました。それぞれ印象に残った展示を挙げておきます。
1.イノシシと干支
まず基本的に日本では野生のイノシシに「猪」、家畜のイノシシに「豚」を当てますが、中国や韓国だと「猪」という字は、日本でいうところのブタになります。
では、野生のイノシシは?というと「野猪」という字を当てるそうです。
玉豚
こちらは日本語では玉豚(ぎょくとん)。中国語では玉猪。つまり玉(ぎょく)で作られた豚です。
玉は古来、永遠不変の象徴として珍重されてきました。この玉豚は漢の時代に、貴人を埋葬する際に、その手に握らせたそうです。
豚は多産なため、子孫繁栄や財などの象徴とされました。その豚の力にあやかって、死後の安寧を託したらしいです。
イスラム教で豚が忌避されるのとは全然違いますね。
2.イノシシと人との関わり
このセクションでは、日本の縄文〜古墳時代の、イノシシと人との関わりについて扱っています。
展示の解説文から抜粋しておきます。
イノシシと人との関わりとしては、早く、縄文時代早期の貝塚から、イノシシの骨を利用した骨角器が出土していることが知られる。しだいにイノシシは単に食料や道具をつくるための材料というだけではなく、精神的な側面での関わりが深まってくる。(縄文)前期の後半には、イノシシの顔をあしらった土器が出現し、後期にはイノシシをかたどった土製品がつくられるようになる。イノシシ形土製品の用途としては、狩りの無事、豊猟や子孫繁栄の願いなど、さまざまな解釈がなされている。
猪形土製品
縄文時代(後〜晩期)、青森県から出土した土でできた猪。猪は犬の土製品と組み合わされて出土するそうです。猪狩(いのししがり)の様子を表すことで、狩りの成功を願った可能性があるとのこと。
埴輪 矢負いの猪
猪は埴輪にもなってました。狩りの様子を再現したもので、胴には矢が刺さっています。
当時の狩猟は自然の恵みに感謝し、豊猟を祈願し占う役割を担った王が行う盛大なイベントでした。
3&4.仏教のなかのイノシシ
仏教の中の神(尊像)にもイノシシにまつわるものがあります。
摩利支天〜楠木正成も信仰していた〜
例えば、摩利支天はイノシシに乗った姿であらわされます。
摩利支天とは、古代インドで、太陽光や陽炎を神格化した神様で、のちに仏法の守護神になりました。
陽炎はゆらゆらと揺らめいていることから、この神を信奉すれば、つかまったり、傷つけられたりせず厄災をまぬがれると信じられていました。ゆえに日本では武将が帰依する例が多かったそうです(楠木正成など)。
5.富士の巻狩(まきがり)と『曾我物語』
このセクションは源頼朝の巻狩にまつわる話です。
頼朝は鎌倉幕府を開いたのち、将軍の権威を天下に知らしめるべく、富士の裾野で大規模な大規模な狩りを行いました。それが富士の巻狩。
この時、富士の守り神とされる巨大なイノシシを、頼朝の重臣・新田四郎が殺したエピソードがあるとか。
また巻狩のなか、父の仇討ちを果たした曾我兄弟の逸話も有名。この仇討ちがあったがゆえに、この巻狩がさまざまな絵画作品などに表現されています。
見立富士の巻狩〜葛飾北斎の画〜
頼朝の富士の巻狩を七福神がやっている、という謎な主題の絵。作者はかの葛飾北斎です。
北斎もこんなユーモラスな絵を描いてたんですね。
6.博物図譜から近代へ
江戸時代、平和になったからでしょうか、あらゆる自然への関心が高まり、博物学が隆盛。諸大名も”博物図譜”(今の図鑑のようなもの)を作るようになりました。
イノシシも写実的な筆法で描かれるようになります。
猪図(いのししず)
江戸時代の京都の画家・岸連山が描いたもの。解説を引いておきます。
毛足が長く硬そうな体毛を勢いのある速筆で描き、濃い筆で重量感と存在感を見事に表現している。
なるほど、そういう風に描き分けることで、本物っぽいイノシシが表現できるわけですね。勉強になる。
萩野猪図屏風
こちらも江戸期の京都の画家・望月玉泉の作。
イノシシが伏して眠っています。イノシシのこのポーズは平安や平和を象徴するものだとか。
”猪突猛進”のイメージがあるイノシシだけに、穏やかにしていてくれると、平安・平和のシンボルになる、と。なるほど。
浮世七ツ目合(うきよななつめあわせ)・巳亥(みとい)
江戸のスター浮世絵師・喜多川歌麿の錦絵。
面白いのは絵の中のイノシシ(うちわに描かれている)とヘビの組み合わせです。
ある干支と、それから数えて七つ目の干支の組み合わせは、幸運を招くとされたそうです。そんな謂れがあったとは…。知らなかった。
最後に
年の始めに、その年の干支について学ぶといういうのは、趣きあります。これを12年続けたら、イッパシの”干支動物博士”になれそう。
入場料&会期
- 620円
- 1月27日(日)まで
※以前、京都国立博物館で見た展示。「松」や「鶴・亀」や「虎」にはどんな意味が込められているのか、やさしく解説した展示でした。