歴史探偵

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「令和」にまつわる報道 新聞5紙 読み比べ

新聞で「令和」と元号について学んでみた。

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改元発表の翌日 新聞5紙を買う

4月1日。新しい元号は「令和」に決まりました。

最初テレビで、菅官房長官の第一声を聞いたときはやや違和感を思えましたが、単に初見だからそう思っただけで、きっとすぐ慣れるのでしょう。

平成改元のときも(あのときは中学生でしたが)同じような感覚でした。すぐに慣れて「平成○年だなあ〜」なんて言っていたような気がする。畢竟、人間、何にでも慣れます。

さてメディアでは「令和」という二文字がいったいどういう文献から採用されたのか、また元号とはそもそもどういうものか、について様々に分析されていました。自分は歴史が好きなので、そこのところ、すごく関心があります。

そこで、元号発表から一夜明けた4月2日の朝刊5紙(読売・朝日・毎日・産経・日経)を買って読み比べて見ました。

新聞を買うなんて、ほんと何年ぶりだろうって感じがあります。やっぱり改元の、国民を一つにまとめる(統合する)チカラってすごいですね。国民を統合する”大手メディア”というものに触れたくなってしまうわけですから。

改元に関してだけは、その他大勢の日本人が、この改元についてどう考えているか、とか知りたくなってしまう。普段、それ以外の話題だったら新聞の存在なんて忘れているのに。

さて、その5紙の記述の中から、自分が特に興味深いな、と思った「令和」や元号にまつわるウンチクをピックアップしてまとめておきます。なお青字は自分の感想・意見です。

 

典拠になった文章は…

さて、政府の発表した令和の典拠です。

【2019年4月2日 読売新聞】引用

初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

▽読み下し文

〈初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を被(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す〉

【出典】「万葉集」巻五、梅花の歌三十二首幷(あわ)せて序

(現代語訳)新春の好(よ)き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如(ごと)きかおりをただよわせている。

(中西進「万葉集 全訳注原文付(一)」講談社文庫)

「鏡前の粉を被き」とは女性がおしろいをつけているように白く咲く、の意味だったんですね。一番最初、発表のとき「鏡前の粉」ってなんのこと?と思っていたので、納得です。

蘭とはいわゆる”ラン”ではない

さて、蘭です。この漢字だけ見ると、園芸品種としてたいへん人気があるランか、と思ってしまいます。

しかし、植物学者の方が書いているこの記事を見ると、蘭=フジバカマという秋の七草だそうです。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55996

ポイント部分を引用してみます。

梅の花が咲く初春には、いわゆる蘭の花は咲きません。

(略)

万葉集に登場する「蘭」(あららぎ)とは、秋の七草のひとつである藤袴(フジバカマ)だと考えられます。フジバカマの中国名は佩蘭であり、蘭草とも呼ばれます。「蘭」とは、フジバカマや東洋蘭のように、香の良い植物を指す総称なのです。

漢字だけ見ていても分からないもんですね。やはり教養が必要だ。

 

 

元号ってそもそも何?

【2019年4月2日 日本経済新聞】より

元号は古代中国で君主が時間をも支配するという思想のもと生まれた。最初の元号は前漢の武帝が制定した「建元」(紀元前140年)。

日本最初の元号は「大化」(645年頃)

年号と元号は何が違う?

「元号」の「元」には代始めの意が含まれている。明治以後の改元は全て天皇の代替わり時に実施されてきたため、「元号」とするのが本義に近い。

元号と年号。ちゃんと違いがあります。

 

今のような形で元号を決めるようになったのは昭和54(1979)年

【2019年4月2日 日本経済新聞】を基に記述

日本で公文書に元号が使われるようにあったのは701年の大宝律令から(1300年前!)。公文書に元号を用いて年次を記すように規定した。これが元号の最初の法的根拠。

明治期には、旧皇室典範により「一世一元」の原則が確立。つまり天皇の一代ごとに改元するとした(それまではもっと頻繁に元号は変わっていた。平均で5年半に1度という)。

しかし敗戦後、新皇室典範になると元号に関する規定がなくなった。元号の法的根拠は失われた。

昭和45年ごろ、このままでは元号が「昭和」で終わってしまうとの危機感から、保守系の団体を中心に民間レベルで、元号の法制化を求める動きが盛り上がり始める。

結果、昭和54(1979)年、元号法が成立。元号は天皇でなく、政府が決めることになった。

この事実は新鮮でした。元号法なんてつい最近じゃん!という感じ。

ということは、政府が元号を決めるようになったのは、平成改元が初めて。今回でまだ2回目ということです。

 

元号に頻出の漢字~日中比較~

【2019年4月2日 日本経済新聞】を基に記述

令和までの元号に使用された漢字は73文字。最も多いのが「永」(29回)で、よい時代が長く続くようにとの願いが込められている。次に多いのが「元」と「天」の27回。

中国では最も多いのが「元」(46回)、続いて「永」(34回)。ただ王朝の交代が繰り返されたことの反映か「始」「建」「興」といった物事の始まりを含意する文字が目立つ。日本では中国で使われたことのない「寛」「保」といった穏やかな意味を持つ文字が多い。

日本と中国で元号に使われている漢字に差異があるのが面白い。中国の王朝は、前の王朝を打ち倒すと、以前の史料など処分してしまい、歴史を書き換えていきます。まさに破壊→建設、の繰り返しです。

一方、日本は実際の政治権力はさまざまに交替したとはいえ、天皇家は1000年をはるかに超えて存続しています。このお国柄の違いが元号の漢字にも表れている。 

 

 

序文は日本独自の文章か?

【2019年4月2日 読売新聞】引用

日本の元号はこれまで、中国の古典(漢籍)を典拠としてきた。久礼旦雄(くれ・あさお)京都産業大学准教授(法制史)は、令和の引用部分は万葉集独自の文章だとみている。その上で、「漢籍を参考に(引用部分を)書いたとみられ、過去の伝統を無視したわけではなく、その延長線上にある」と解説する。

【2019年4月2日 朝日新聞】引用

(政府が元号の考案を依頼した)そのうちの一人と目される国文学者の中西進氏(89)は万葉集研究の第一人者だ。万葉集は、音を漢字に当てはめた表音文字の万葉仮名で記されており、意味を重視する元号には向かないと言われるなか、昨年10月の朝日新聞の取材にこう語っていた。「万葉集にも少しは漢文があるから、そのなかで良いものがあればとれる」。漢文で記された序文からとった「令和」を予言するような発言だった。

今回の元号は日本の古典(国書)から採ったと強調されますが、典拠とされた万葉集の序文は漢文調で、中国的とも言えますし、あまり「日本オリジナルの典拠から採用した」ということにこだわる必要はないと思います。というか、漢字を使っている時点で、真に日本オリジナルな文学・文章はない、とさえ言えるのかも。

元号の考案者は断言できる?

ちなみに4月2日朝刊の時点で、日経新聞だけ「中西進氏が考案者」と断定していました。本人はコメントしていないので、断定はできないように思うのですが、誰かが漏らしたのだろうか…。

 

『令』という漢字はそもそも…?

【2019年4月2日 読売新聞】引用

中国文化学者の加藤徹・明治大学教授は「『令』はもともとは神様のお告げのことで、クールで優れているという意味」と解説する。

【2019年4月2日 朝日新聞】引用

漢字の成り立ちに詳しい加納喜光・茨城大名誉教授は、「令」には上から下へ指図する命令の令と、命令を聞く民がきちんと並ぶ様から「姿、形がよい」の二つがあると解説する。

【2019年4月2日 産経新聞】引用

「令」という漢字には、「立派な」のほかに、「命令、戒め、公文書」といった意味もある。もともと、ひざまずいて神意を聞く人の形だったという。漢字の成り立ちを漢文学者、白川静さんの『字通』から学ぶと、新元号の印象も変わってくる。

やはり『令』には”命令的”なニュアンスはあるんですね。その元々の意味に「令嬢」や「令夫人」などの”美しい””立派な”の意味が加わっていったようです。

 

安倍さんが言及していた「国書」とは?

【2019年4月2日 読売新聞】引用

安倍首相は記者会見で出典の万葉集を「国書」と述べた。国書とは古典籍のうち日本人の著作した書物のこと。似た言葉の「和書」は仏典や漢籍を含め、日本で製作された書物を指す。

国書という言葉が聞きなれなかったんですが、もともとあった言葉だったんですね。国文学や国語の『国』と同じ使い方ですね。

 

歴史上 初めての事態

【2019年4月2日 読売新聞】引用

国内では南北朝時代に朝廷が分裂し、南朝と北朝がそれぞれ元号を制定したため、二つの元号が並び立った。しかし、前の元号が使われているうちに次の元号をあらかじめ公表した例はこれまでにないとされる。元号史では「異例の事態」(専門家)となる。

前の元号が使われているうちに、次の元号が発表されるという歴史的な事態。思えば、近代に入って初めての生前退位や国書を元号の典拠とするなどのちのち教科書に書かれるような”歴史的事態”が最近、本当に多い。

 

元号を専門に扱っている公務員

【2019年4月2日 毎日新聞】引用

30年間にわたる新元号の選定過程を最もよく知る人物が、改元1年前の2018年5月に死去していた。内閣官房の「特定問題担当」という担当につき、新元号を準備する専門職だった尼子昭彦氏。1952年生まれで、88年に国立公文書館に採用され、平成改元を経て一貫して極秘の元号選定作業に携わり続けた。

こういう専門職の方がいるんですねえ。

ちなみにこの専門職の方の名前を「尼子氏」と特定していたのは毎日新聞だけでした。朝日も専門職の存在は書いていましたが、名前までは載せていなかった。名前までは分からなかったのか、それともあえて報じなかったのか…。

 

最後に

5紙読み比べてみて、元号についての記述がいちばん充実していたのは日経新聞だと思いました。薄い本を一冊読み終えたくらいの充実感があった。

日経は経済紙のイメージがあるけれど(で、事実そうだけれど)、人文系ネタも強いです。

また5紙比べることで、あるトピックについての取材の深さも分かりました。上述した元号の専門職についてのネタは毎日、朝日がリードしていたと思います。やっぱりメディアを比べて見るのは大事ですね。期せずして自分へのメディア・リテラシーになってました。