歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

ドラマ「アンナチュラル」第9話・感想

画面を凝視しすぎて酸欠になりそうなくらいの面白さだった。

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番組冒頭、「犯人を今度こそ見つけましょう」と刺すような眼のミコト(石原さとみ)のセリフが、緊張感と疾走感にあふれる今回のエピソードの予兆だった。

 

運び込まれた遺体。中毒症状あり、死後48時間が経過、異様に腐っている胃の内容物、口腔内に今までで一番はっきりとついた「金魚」の痕…。遺体に関する情報が矢継ぎ早に提示される。全ての情報を総合してもどんな殺人なのか、視聴者にはイメージが結ばない。さらに警察との会合で、中堂の恋人らの事件と「連続殺人」と認定できるかどうかと言う論点も提示される。

 

遺体そのものについての謎、さらに複数の事件についての謎。謎の上に謎が重ねられ、視聴者の「真相を知りたい!」と言う欲求をいやが上にも高めていく。ミステリとしての舞台設定としては十分すぎるほど。さらにその設定構築は、必要最低限な尺で成し遂げられる。この圧倒的な疾走感はこのドラマの大きな魅力のひとつなのだが、ともすれば舞台設定のための情報量が多すぎ、視聴者は置いてきぼりをくらってしまう。そうならないよう絶妙に保たれているバランスは、脚本家と演出家、プロデューサーの卓越した職人的技量によって成り立っているものだろう

 

さらに偶然死体の発見現場に居合わせたという宍戸(北村有起哉)の怪しい行動、六郎(窪田正孝)が関わっているであろうUDIの情報漏れ、細菌検査で発見されたボツリヌス菌…新たなインプットが次々注入される。しかしそれらのインプットから判明する確固たる事実はなく、カタルシスが得られない。そろそろ視聴者も、頭の中の情報インプットのキャパが限界に近づいたころ、中堂(井浦新)が過去を回想する心の動きに合わせて、シーンはかつての恋人との思い出に移る。

 

中堂とかつての恋人・夕希子(橋本真実)の出会いは、彼女の働く飲食店だった。

店に客である中堂と夕希子しかいない日のこと。食事を供した後に、黙って中堂を見つめる夕希子。お互いを意識しつつの沈黙の時が思いのほか長い。沈黙にしびれを切らした中堂が「あ〜クッソ気になる。なんなんだ!」と言葉を吐く。すると、夕希子は自分の描いた中堂の肖像を見せるのだ。夕希子の長い沈黙の後の第一声は言葉ではなく、自分の想いを重ねた絵…男女の愛の始まりとしてこの上なく新鮮なシーンに仕上がっていた。

 

場面は二人のピクニックのシーンに。二人が交際を始めたであろうことが、その親密な様子からうかがい知れる。夕希子は初めての絵本が完成したことを笑顔で中堂に告げる。流れる主題歌のLemon。「夢ならばどれほどよかったでしょう」。中堂の心を歌が語り出す

 

中堂は絵本のストーリーについて、夕希子に質問する。

中堂:こいつ(絵本の主人公の茶色い小鳥)は死んだのか?

夕希子:そう。そして綺麗な花になる。

中堂:どういう理屈だ

夕希子:(笑いながら)理屈じゃないの

ここで挿入される中堂のもう一つの回想。

中堂の職場に一体の遺体が運び込まれてくる。中堂が遺体を確認すると、それはあろうことか、恋人の夕希子だった。

Lemonのメロディーの前面で、交互に展開する二人の愛の語らいと解剖シーン。

夕希子:寂しい人生でも最後くらい花になったっていいじゃない

夕希子にメスを入れる中堂。表情はいつもの冷静な解剖医だ。

夕希子:あったかくていい匂いがする場所で、綺麗な花になれたら幸せだと思わない?

中堂:生きてるうちに幸せになれないもんか?

夕希子:幸せにしてくれる?逆プロポーズ。

 

「逆プロポーズ」。はにかんだ夕希子のアップの表情がスローモーションになって胸が痛い…。

 

この中堂の一連の回想シーンはとにかく切なさが極まりすぎた。

まず恋人との幸せの絶頂の時期にその恋人の遺体を解剖するなどという設定、今まで誰が思いついただろうか。そんな地獄のような経験をした人間は、恋人を亡き者にした犯人を許すはずがない(=殺す)と誰もが思うだろう。その中堂の怒りと絶望と哀しみをつつむのはLemonのメロディー。この曲はこのシーンのためだけに書かれた(ような気さえする)。練り上げられた脚本の芯を120%生かす完璧な演出だったと思う。

 

中堂の美しくも悲しい追憶シーンが終わると、視聴者は再び謎解きの現場へと連れ戻される。事件現場で鉢合わせる中堂とミコト。

 

かと思うと、宍戸と失踪した女性を巡る六郎とバーテンの会話も挿入される。この辺りは展開がめまぐるしいが、視聴者は何とか必死に食らいつこうとする。なんせ、今回の殺人事件の真相やシリーズを通しての中堂とその恋人の事件の真相を知りたい気持ちが強すぎて、ドラマから離れられないのだ。ほんとここまで視聴者の気持ちを、ドラマにガッシリと食い込ませているのがすごい。

 

シーンは事件現場の中堂とミコトに戻る。事件を巡るミコトの推理が展開。仮に犯人を見つけ出したとしても、決して手を下してはならない、と中堂を諭す。中堂は言う。

中堂理屈ではな

中堂のアップで話されるこのセリフ。このアップのカットにより、中堂が夕希子との、「理屈」を巡っての会話を、8年間片時も忘れていなかったことが暗示される。物語が理屈で理解するものではないように、報復の感情も理屈(法)で断罪されるものではない。今の中堂を支えているのは絶対に復讐を果たすという哀しい信念だ。

 

六郎は六郎で事件の真相に迫ろうとしていた。宍戸に行方不明の女性の写真を見せながら 宍戸が把握している事実を喋らせようとする。アリバイにまで話が及び、視聴者は「ひょっとして宍戸が犯人?でもそれにしては分かりやすく怪しすぎる…」と思う。そして決定的な宍戸のセリフ。

 

宍戸:Bはもうやった。

 

ここで視聴者は、なぜ宍戸が前回エピソードのエンディングでABCの歌を、半ばオカシい人のように歌っていたか、”アッ”と思わせられることになる。「あの歌は連続殺人の”方法”に関する歌だったのか」と。ミステリファンならアガサ・クリスティの「ABC殺人事件」を思って、ニヤリとするかもしれない。このドラマの作者はミステリの系譜に正統な敬意を払っている。思えば第7話ではシャーロック・ホームズシリーズ(コナン・ドイル作)の「ソア橋」がトリックの下敷きに使われていた。ミステリファンは、「本歌取り(過去のトリックを下敷きにして新たなストーリーを紡ぐこと)」を好むことが分かっていての、作者によるサービス精神の現れだ

 

宍戸の”ABC"からヒントを得た六郎が”F”を巡る謎を解こうとし、蟻酸、ホルマリンとミコトや中堂の推理の確度は上がっていく。この辺りも化学式を交えての劇中の情報量の多さが凄まじい。正直、全て理解できたかというとかなり怪しい。ぶっちゃけストーリーの流れがだいたい分かればいいや、という感じで見ていた。そうです、それでいいのです。一刻も早く真相が知りたい!真相が分かるというカタルシスを味わいたい!

 

そして六郎の持っていた「ピンクのカバ」の絵を目撃し、一気に犯人憎しのボルテージが上がる中堂。宍戸から真犯人のヒントを電話で聞く。同時に視聴者は、警察も真犯人(=不動産屋の高瀬(尾上寛之))に迫りつつあることが知らされる。

 

ここでまたのドンデン返し!犯人は宍戸ではないのか…。なんと第8話自体が第9話への壮大な伏線だったのですね。伏線に継ぐ伏線に加えて、過去のミステリの名作の本歌取り。とにかく計算し尽くされた仕掛けが縦横無尽のドラマである。が、それがことごとくハマっているので素晴らしく面白いのだ。舌を巻くしかない。

 

最終回が待ち遠しい。が、来て欲しくない(終わってしまって欲しくない)気持ちもあるな、正直。

 

※第8話、最終話についての感想はこちらに書いています。

candyken.hatenablog.com

 

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