歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

コンフィデンスマンJP最終話・感想

いろんな意味で気持ちもいい最終話でした。
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密室劇で進行した最終話

最終話の舞台はほぼ、コンフィデンスマン3人のアジトと思しきホテル(と思しき場所)。
シーンはほとんど変わらない。鉢巻秀男(佐藤隆太)と犯人グループ、そしてコンフィデンスマンの3人がいる大部屋と、3人のうちひとり一人が鉢巻と向き合うベッドルーム。これだけ背景が変わらないのに、また派手なアクションもないのに高い緊張感を持続させつつ物語が進行していくのはやはり古沢良太さんによる練られた会話劇のなせるワザ。まして3人は「目線ひとつで示し合わせる」のをできないようにするため、前半は黒頭巾をかぶせられていた。ドラマの要素として3人の表情を活かすこともできないため、より純粋にセリフの魅力だけで勝負していた。
後半は息詰まるような心理戦を経て、別ドラマのトリック、登場人物の名前を借りて
鉢巻をだましていたことが次々に明かされていく。ちりばめられた伏線がきれいに回収されていくさまは爽快だった。
 

第一話を見ててよかった!

エンディングでコトを成したダー子がボクちゃんに次の”お魚”を発表するとき、「あれ、どこかで聞いた名前だな」と思ったら、第一話の登場人物だった。なるほど、これは第1話の前に来る第0話なのか、と。全エピソードが一つのリングにつながった気がしてなんだか気持ちがいい。律儀に初回から見てきた者としては、苦労が報われて気がしてちょっとうれしくもあった。こういう小さなネタをSNSで共有できるのは現代のドラマの楽しみ方の一つだ。
 

見事だったアフォリズムからの場面転換

このドラマの魅力の一つは、コミカルでテンポ良い進行の中に時折、放り込まれる深淵なアフォリズム(=物事の原則や真理を鋭い言葉で短く表現したもの)。

今回、グッと来たアフォリズムで言えば、例えば下記の鉢巻による長セリフの場面。

鳥はいいなあ。動物にはウソというものがない。
信用詐欺師か…。同情するよ。

君たちは何から何までウソだらけだ。
真実というものが一つもない。
ウソをついている自覚すらない。
分からなくなって当然だ。
何がウソで何が本当か。
どちらが仮の自分でどちらが本当の自分か。
偽りの名前と本当の名前。
自分で見失ってしまう。

人をだますということは自分自身をだますことだからだ。
思い出させてあげるよ。君たちの真実の姿を。

ダー子。ボクちゃん。リチャード。
いや、フジサワ・ヒナコ。
ニシザキ・ナオト。
そしてカマタ・キヨシ

それまでボクちゃんを脅迫していた鉢巻が緊張を解いた調子で「鳥はいいなあ」と言い出す。この突然の空気の切り替えが気持ちいい。それに続いて”真実とウソ””本当の自分とかりぞめの自分”についての真理を語りだす。それはこのドラマ全体を通底する「目に見えるものが真実なのか」というテーマと響き合ってじっと聞き入ってしまったのだが、そんな深いセリフが次の3人の素性を暴きにかかるという、プロット上の重要な場面転換に使われていて(「思い出させてあげるよ、君たちの真実の姿を」というセリフ)、ここの流れは見事だった。
また「人をだますということは自分自身をだますこと」という言葉も刺さる。人をだましているうちに、どんなウソをついたのか自分で分からなくなってしまい。結果自分自身をだましたような状態に陥る、と解釈することもできるだろう。また人にウソをつくうちに、そのウソがいつの間にか真実のように自分自身でも感じられてしまい、自分自信についての真実がすり替わってしまうという解釈も成り立つかもしれない。
ここからさらに考察を深めて、自分自身について真実と思っていることもすべて記憶の連鎖であり、言葉でできているものだから、真実はカチッとした実体のあるものではない。ある真実はいつでも別の”真実”に変化しうる…という解釈もあるかも。いずれにせよ含蓄あるアフォリズムである。
 

人は世の中を”見たいように見る”

戸田菜穂演じる女詐欺師(この人物の存在自体がフェイクであると最後明かされるが)
が漏らす次のアフォリズムもいい。
人は自分の欲望をかなえてくれる人間を信じる。
欲深い人間ほどだませるのよ。
結局、人は自分の欲望にかなう”真実”を見せてくれる人間を信用する(信用したい)。欲望が客観的な認識を上回ってしまう人間ほど詐欺師に引っかかりやすい。しかし多かれ少なかれこういう傾向は誰にでもある。例えば医学的客観的事実はさておき、糖質制限でダイエットに成功した人は「糖質制限が実は体に悪い」という記事を見ると「ウソでしょ」と思いがちだし、逆に糖質制限苦手な人は「やっぱりな。きっとそうだろう」と思うだろう。人はみんな世の中を見たいように見ている。
そういえば、冒頭の白い部屋のアフォリズムは、こうでした。

真実を探しているものを信じよ。
真実を見つけたものを疑え。
アンドレ・ジッド

真実を探しているものは、その探している行為をそのものは”真実”なのだから、信用に値する。しかし真実を見つけたと思って安心しているものの”真実”は、ウソの信念を抱いているだけなのかもしれないから、警戒しろ、という意味か。女詐欺師との言葉とも少し通じ合うところがある。

 

各回のクオリティにずいぶん差があったシリーズ

さてコンフィデンスマン全エピソードが終わった。このドラマシリーズ、自分にとっては各回のクオリティに随分差があるドラマだった。
いちばん心に刺さった回は第3話。石黒賢が美術評論家の城ヶ崎を演じた回だ。いつものような小気味よいセリフの応酬を楽しみつつも、それらが「美とは?芸術とは?価値ある芸術作品とは?」という美学の最難問の周りをぐるぐる回るあの脚本は素晴らしかった。オオゲサに言うと自分はあの回のエピソードを見て、芸術を見る目が変わった。「”純粋な”芸術の価値」なんてものを信じなくなった。だってそんなものは存在しないし、芸術の価値は作品と作品の持つ物語、そして鑑賞者が共犯関係で作り上げるものだと教わったから。ほんと優れて啓蒙的な回だった。大学の美学・哲学の講義にだって使えるのではないだろうか。
 
※第3話の感想はこちら。

一方で「スーパードクター編」「古代遺跡編」などはちょっとついていけないというか人の心理の扱い方が粗雑だった気がした。設定は少しくらい荒唐無稽でもいい(毎回、実際にこんな詐欺、無理だろ、みたいな設定だし)けれど、人の心変わりのさまが納得いかない部分が多かった。

が、ドラマ全体を流れるコメディのおかしみは第一級のもので、長澤まさみがあんなに魅力的な女優というのにも驚かされたので、ずっと見てきてよかったです。最終話も五十嵐(小出伸也)が「いが!」と言って編集でぶつ切りにされてしまうところなど小ネタが冴えていた。

映画もきっと見に行くだろうなあ。