歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

コンフィデンスマンJP第3話 感想

間違いなくシリーズの最高作!(まだ3話だけど)

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コンフィデンスマンが活躍できるアートという世界 

これを初回にすれば良かったのに…と思うほどの完成度の高さ。

コンフィデンスマン=詐欺師とは「真実をウソに、ウソを真実に見せる」ような人種のことだろう。一方アートの世界も「何が真実か=作品の真の価値とは何か」というのをはっきり言うのが難しい世界である。その意味でアートの世界はコンフィデンスマンと親和性が高いし、彼らがバリバリ活躍できる素地のある舞台なのだ。芸術の真偽の見極め、作品の価値の(決まり方の)あいまいさ、不安定さというのは薄々感じてはいたが、このドラマを見てはっきり思い知らされた。

 

今回もありがたい箴言が一つ

真っ白い部屋で、真っ白い服を着た長澤まさみが名言を朗読するという冒頭のシーン。このドラマお決まりの演出だが、けっこう好き。まるで往年の「恋のから騒ぎ」のよう。

今回の名言は…

芸術は、盗作であるか、革命であるか、そのいずれかだ。

ポール・ゴーギャン

というもの。当初このドラマが始まったとき、この名言も作者が仕掛けたフェイクかと思ったのだが、全て本当に伝えられている言葉のようだ。今回の名言もこれからドラマの中で展開されるエピソードを短い言葉で体現していて見事。番組サイドが良いリサーチをしているなあ、と思う。

ちなみにゴーギャンといえば、フランスの画家でゴッホの友人でもあった人物。晩年は太平洋に浮かぶ島・タヒチに移住し、現地も風俗・生活を主題に絵を描いた。

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有名な作品といえば例えばこの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」がある。

ゴーギャンの言葉としては他にも

事物を前にして描くのではなく、想像力のうちに捉え直して描くべきだ

 とか

芸術とは一つの抽象作用だ。自然を前にして夢想しながら、自然から芸術を描き出すこと

などがある。見た目を素朴に描くのでは芸術にならない、という信念を持っていたあたり、見た目の裏側の真実でもって人をあざむくコンフィデンスマンと一脈通じているような気もする。 

 

芸術の価値ってなんだろう?

今回は芸術の価値をめぐって思わず考え込んでしまうような、深いセリフをたくさん聞くことが出来た。いくつか例を挙げてみる。

城ヶ崎(石黒賢):絵は心で見るものだ、などと馬鹿なことをいうものがいる。違う。絵は知識と情報で見るものです。ピカソが描いた子供のような絵には価値がある。ピカソが描いたからです。しかし子供が描いた絵は無価値。喜ぶのはその親だけだからです。

ボクちゃん(東出昌大):本物だという決めてがない。

ダー子(長澤まさみ):確かにそう。でも、贋作だという決めてもない。つまり本物が偽物か誰にも分からない作品。その場合、一流の鑑定士が本物だといえば本物になる。

ダー子:所詮キャンバスと絵の具。実質的な価値はない。言わば人々が作り出した虚構の上に価値が成り立ってる。それが芸術。 

ダー子:ゴッホは生前無名で絵もほとんど売れなかった。それが今では目ん玉飛び出る値で取引されてる。なぜ?

絵が変わったわけじゃない。人々の見る目が変わった。誰が変えた?

ゴッホを最初に評価した評論家よ。彼がゴッホを売り出しブームを作り出していった。 

ダー子:絵は上手い下手じゃない。人々は物語に金を払う。

このように絵画の価値は絵画そのものでは決まらない、その価値はその他の要素も絡み合って複合的に決まるのだ、と繰り返しセリフで説かれる。そしてこの構造は、他の文化でも往々にして見られる。


映画だって有名人な評論家が褒めている作品は世間で名作・佳作とされるし、それを自分が面白いと思えなければ自分の映画を観る眼がないのかも、と思ってしまうかもしれない。


レストランも超有名シェフが作っている、という情報だけでその料理は「美味しいもの」とひとまずは位置づけられるだろう。仮にそのシェフが料理に失敗していたとしても、食べた人間はそれを不味い、とは言いづらいかもしれない。

 

つまりものの価値というのは、何か「純粋な価値」というものが、その対象物に内在していて、それを鑑賞者が発見し、味わうというような単純なものではない。その対象物にまつわる高名な評論家の批評もあれば、自分の友人の何気ない一言、世間の評判、自分の審美眼、その時の自分の感情…それらのものが総合されて鑑賞者は対象物に対して価値を感じるということになる。

 

その対象物も、テレビ番組、とか、スナック菓子みたいな身の回りにあふれているものならば、批評家の意見や他者の眼など意識せず、面白いとか不味いとか反射神経的にコメントできるが、油絵のようなファインアートのような普段われわれから縁遠く、どのように価値が生まれるのかブラックボックスのような対象物だと、より自分の鑑識眼に疑いの眼差しを向けてしまって、その分批評家が活躍できる余地が生まれてしまう。

だからファインアートの価値が作り出される構造を深く理解し抜き、その知見でもって大衆をハックすることに成功した城ヶ崎のような男はビジネスで大儲けすることができるのだろう。

それはまたコンフィデンスマンが活躍できることとも同義である。

今回、彼らは山本巌という架空の画家を作り出し、作品だけではなく「田舎で埋もれたまま早生した」という物語を作り出した。その物語でもって城ヶ崎を華麗に騙した。

まさに「絵は上手い下手ではない。人々は物語にお金を払う」のである。

芸術的な価値の決まり方から、ビジネスの本質まで考えさせるこのドラマ。コミカルな装いをしておきながら、なかなか深い。

 

ますます輝く長澤まさみ

今回も長澤まさみが素晴らしかった。

例えば中国人のバイヤー・王さんに扮した演技など、「日本人がイメージする日本語を操る中国人」に成り切ってちゃんとコントとして見せてくれた。

何しろコントだから下手すぎると新人のお笑い芸人みたいにとてもイタくて見ていられないと思うのだが、長澤まさみがその役に"振り切って"演じているので安心して見ていられた。

ほんの、少し残念だったのは、序盤のカメラ目線で今回のテーマについて語るところ(「目に見えるものが真実とは限らない…コンフィデンスマンの世界へようこそ」)で、ボクちゃん(東出昌大)が登場したこと。やはりあそこはダー子(長澤まさみ)に決めて欲しかった。このドラマは長澤まさみによる長澤まさみのためのドラマな気がするから。ほんとうは毎回彼女から開幕宣言をしてほしい(というのはワガママ?)

 

小ネタも冴えるこのドラマ。ますます楽しみ

城ヶ崎が山本巌作品を

「3.5億、3億5000万で私に売ってください」

とリチャード(小日向文世)に懇願した後、ぼーっと見ていたら見逃しそうなくらいの軽さで長澤まさみがブルゾンちえみのネタみたく、クイクイツと腰を振っていた。そしてそのまま映像はブルゾン&コシノジュンコによるdocomoのCMになだれ込む。思わずクスクス笑ってしまった。楽しめてるドラマだとこういう小ネタもとても冴えて見える(逆にツマラナイ作品だとこういうギャグに冷めてしまうが)。

回を重ねるごとに面白いコンフィデンスマンJP。次回も楽しみである。

 

※第1話、2話まとめた感想をこちらに書いています。

www.rekishitantei.com