"元伊勢"という言葉を知っていますか?
観光船で海を渡る
観光船がモーターボートか それが問題だ
日本三景と並走する
天橋立に"神を感じた"古代の人々
”元伊勢”は海からすぐ
丹後国随一の社格を誇る
「一の宮」とは一種の社格のことで、諸国において由緒ある神社や信仰の篤い神社の序列がおのずから生じ、その最高位に列するものが「一の宮」となりました。一方、「総社」とは国内の諸社祭神をすべてお祀りしたお社で国司が奉祭する神社を云います。当社は奈良朝以後、丹後国一宮に列し、同国の総社を兼ねました。
社殿も確かに”伊勢っぽい”
参道を進みます。社殿が見えてきました。
確かに伊勢神宮に似ている。「神明造り」と言って神社でも最古の建築様式だそうです。
屋根も、よく寺社で見られるような”反り”がないですよね。あの反りは中国から仏教寺院建築の様式が入ってきて以降のもの。なので、日本古来の神社建築では、屋根はまっすぐです。
ここから先の境内は撮影禁止でしたので、テキストだけのレポートです。
五色の座玉(すえたま)は見逃すな!
拝殿まで来てお祈りした際、見逃せないのが、本殿に据えられている「五色の座玉」。これは伊勢神宮と籠神社にしか見られないもの。伊勢とこの神社との、強いつながりを示すものです。
伊勢神宮の神様は4年間この地にいらっしゃった
ここで改めてこの神社の由緒を。公式HP(この神社のHPは非常に充実しています)の記述です。
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号でご一緒に四年間お祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。それに依って当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。
伊勢神宮の祭神である、天照大神と豊受大神は、伊勢に遷られる前に4年間、この地で祀られていたんですね。丹後の国と当時の朝廷との間に、何かしら深い縁故があったようです。
地方の一神社ながら、ここにいると、遠く伊勢や、古代日本にまで想いを馳せることができて、非常に面白い。
カモメの”名人芸”を楽しむ
さて、籠神社を辞して、もう一度海を渡って、帰路につきます。
その観光船の乗り場で見つけたのがなぜか”かっぱえびせん”
えびせんを観光船の屋上から空中に放ると、ものの見事にカモメがキャッチしてくれます。これが意外と楽しかった。
彼らは一瞬、空中で静止しますからね。手慣れたものです。素晴らしい。
”神を感じる”夕焼け
日没が迫り、空からは黄金色の光の筋が、何本も射していました。
古代から変わらぬ風景。神様に会って来たせいか、いつもの夕景よりも神さびて見えました。