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秋田でまち再発見にトライする!
横手市が住民目線で街のお宝を発見する、という3回連続のワークショップを開催しています(正式名称は「まち再発見!歴史と文化のまちづくり 座談会&まちあるき」)。
「いわゆる指定文化財でなくても街の歴史や伝統、文化を伝えるお宝ってあるんじゃないの?」という問題意識から、住民自身が地域を見つめ直し、後世に伝えるべき価値を宿している史跡、風景、寺社仏閣等々あらゆるものを再発見しようという試みです。
自分は東京在住で横手市民では全然ないのですが、たまたま秋田で仕事で知り合った方のFacebookフィードでこのワークショップの開催を知り「これは参加したい!」と思いました。
まずもって自分は歴史や風土を感じながら街を歩くのが大好きですし、たまたま仕事でつながりのできた秋田と何かしらの形でつながっていたいな…という気持ちもあった。それで市役所の方に参加を打診したら快く承諾していただき、今回、ワークショップに加わることができました。
この記事ではそんなワークショップの一環で横手市十文字地区を地元の方たちと歩き、発見したこと気づいたことをまとめておきます。
ユニークな地名は本当にある交差点から
ワークショップでは数人ごとにチームを組み、まちあるきをし、埋もれたお宝を探します。自分たちチームが横手市内で割り当てられたのは「十文字」という地区です。
十文字…なかなか特徴ある名前ですよね。奥羽本線には同名の駅もあります。
この十文字という地名、二つの街道が交わるリアルな交差点から生まれた地名です。その交差点は今でもありました。
奥羽本線十文字駅から徒歩数分の交差点。地図で言うとココ。
ここの緑と黄で示したのが古来からの街道です。江戸時代の後期、ここの交差点に茶屋ができ、この辺りの地区は発展していきました。
ちなみにこの交差点は五差路。赤で示した道は1905(明治38)年、十文字駅が開業した時に造られたもの。なので比較的新しい道です。
ここで住民の方が発見したのが「十文字町道路元標」。言われないと気づかないくらい薄い存在感でひっそりと建っていました。
道路元標とは本来、道路の起点を示すために設置されるものです。地元民曰く「何百回、何千回とここの交差点を通過しているのに気づかなかった。やっぱり歩かないと気づかないね」と。
元標自体すごく古そうですが、残念ながら「いつ、誰が設置したか」等の情報は記されていませんでした。でも古くからここの十字路が道路行政の上で重要なポイントとされてきたのは間違いない、ということが分かりました。
駅近くの倉庫も歴史の生き証人
ここの十文字駅の近くには大正時代、大規模な鉱脈が発見された「吉乃(よしの)鉱山」がありました(1957年閉山)。下記は大正期の鉱山の様子です。
そのため十文字駅は吉乃鉱山からの鉱石運搬の拠点となり、駅の周辺には物資を保管しておくための大きな倉庫が多数建てられました。今でもその一部が残っています(電車の中からの撮影)。
何も知らなければ「なんだか駅の近くに大きな倉庫があるなあ」で終わってしまいますが、この十文字駅のかつての役割を知れば、倉庫がこの地区の近代の歴史を語る生き証人のように思えてきます。
ちなみに十文字駅は小さな小さな駅ですが、駅の周辺には意匠に凝った建物あり、小さな町にしては似つかわしくないくらいの飲食店ありと、見て回るにはたいへん面白い場所です。これも鉱山労働者の需要を満たすため、様々なビジネスが展開されたことの証ですね(例えば下記はかつての銭湯。ちょっといい面構えにしてやろうというデザイン意識を感じる)。
水田で鉱山の負の一面を知る
秋田県は米の産出額全国3位(2015年)。国内の盆地でトップクラスの広さを誇る横手盆地も県内有数の米どころです。
この日(9月1日)も完熟しつつある稲穂が美しかった。東京から来ると、この見渡す限りの”稲の海”がそれだけでお宝のような気もしてきます。
ちなみにこの水田の場所はこの辺り。今木神社という神社のすぐそばです。
この水田の傍では、先ほど紹介した鉱山の負の側面を伝える石碑を発見しました。
鉱山から排出されるカドミウムがこの地区の水田を汚染したため、土地改良をせざるを得なくなった。その改良工事が平成8年度に終了したことを示す記念碑です。石碑の裏にははっきりと「カドミウム」の文字も。
こういう事実を知ると、秋田が誇る美しい稲穂も地元の人々の様々な思いの上に成立してるんだなあ、と勝手に思い入れてしまう。自分の田が汚染されたいへんだった人も、きっとたくさんいるんでしょうね…。
雨を乞う農家の想いが形に
この水田にはもう一つ面白い”ネタ”が。遠くから見ると水田の真ん中に白い柵で覆われた謎めいたスポットがありました。
近づいてみると石碑に説明があります。ここにはかつて干ばつの折、農家が雨乞いをしたという「宝竜淵」という淵(=川の流れが淀んだところ)があった。土地の改良をするにあたり、由緒あるこの場所を後世に伝承するため、由来碑を建立したというのです。
かつての農家の記憶を残すために、淵に柵をして保存し、由来までちゃんと書いて置くとはなんと素敵な!秋田の人はすでに町の宝を残すという精神を備えているのでは、と思ってしまった。この淵を無くしてしまえば田んぼが少し広がって少し米が多く穫れるかもしれないけど、皆で土地の歴史を語り合う”よすが”を一つ失ってしまうことになりますもんね。観光ガイドには載ってないけど、土地がどういう場所だったのかを雄弁に語る史跡だと思います。
最後に
こんなふうにいろんな物語を持っている場所を訪ね歩くこと4時間。 十文字という土地に肌で触れたような感じがしました。ほんの少しでも歴史や伝統を調べて、”持つべき眼”を持って土地を歩くと、本当にいろんなものが語りかけてきます。面白いです。
次回はワークショップのラストの3回目ですが、地元の方と一緒になって発見したお宝をまとめます。楽しみだ。
おまけ〜ランチは”十文字中華そば”〜
十文字地区にはご当地ラーメンの「十文字中華そば」というのがあります。魚介系の透明度めちゃ高いスープに、極細のちぢれ麺が浸かっています。
地元の方イチオシの名店「丸竹」でいただきました。あっさりしているのですが、ダシがしっかりと根底から味を支えて飽きがこない感じ。もし十文字地区に来られることがあったらぜひ!
※お店の場所はこちら。
https://tabelog.com/akita/A0505/A050501/5000033/
※横手市には非常にユニークな”蔵”が集中している地区があります。