歴史探偵

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ミケランジェロと理想の身体@国立西洋美術館・感想

人の身体の”美”とは何か。

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人のカラダの美しさについてじっくり考える

行ってきました「ミケランジェロと理想の身体」展。タイトルには”ミケランジェロ”と”理想の身体”、2つのワードが入っていますが、明らかに”理想の身体”の方に重心が置かれています。でもだからといって面白くないわけではない。むしろ”理想の身体”というテーマをしっかりと解説してくれるからこそ、この展覧会は成功している…。そんな印象を持ちました。だって、ふつうに生きてて人間の身体の美しさはどこにあるか、なんてあまり考えないから。普段気づかないこと心や感性の領域に光を当ててくれるからアートは面白い。

冒頭の序文に大切なことが説かれています。古代ギリシャ人にとって理想の身体美を追求するうえで最も重要な役割を果たしていたのは「男性裸体彫刻」。したがって古代ギリシャ・ローマを理想としたルネサンスが拠り所にしたのも「男性美」だったらしいです(実際、展覧会でもほとんどが男性裸体の彫刻・絵画の展示でした)。現代のフェミニズム的な思想を持っている人からすると、この古代の考え方は眉をひそめたくなる思潮かもしれませんが。

 

ざっくりわかる!展覧会の構成

展示は大きく3つに分かれています。

  • I 人間の時代ー美の規範、古代からルネサンスへ
  • II ミケランジェロと男性美の理想
  • III 伝説上のミケランジェロ

正直、内容自体は「I」がいちばん深いですこの「I」を鑑賞しつつ、人の身体を”どういう視点で見るべきか”というイメージをしっかり持っておくと、「II」のミケランジェロの作品を見た時の感動が変わってきます。そういう意味ではよく構成された展覧会だな、と思いました。

「III」はいわば、天才ミケランジェロのレジェンドが後世にどう受け継がれていったか、というコーナーですが、まあ流し見でもよいかな、と。なぜなら今回の展覧会ではミケランジェロ自身もしくはその作品を微に入り細に入り味わうことに主眼が置かれているわけではないので。鑑賞エネルギーは「I」「II」に費やすことを、自分はおススメします。

 

古代の幼児は”幼児らしい”

ここからは印象深かった作品について個別に。なお数字は作品番号に対応しています。

「I−1 子どもと青年の美」コーナーでは理想とされた男性美よりももっと”幼い・若い”身体表現が紹介されています。古代では幼児は、ほんとうに幼児体型で表現されていますが、ルネサンスの一部の作品では、筋骨たくましい幼児も。これは幼児の表現と理想の男性美が混じり合ったものだとか。

幼児の彫刻でグッときたのは「4.プットーとガチョウ」(1世紀半ば)。大理石という硬い素材なはずのに幼児特有の”ぷにぷに”した身体の質感をものすごく感じさせます。なおガチョウは当時のペットだったらしいです。プットーとは有翼の童子のことです。

 

”コントラポスト”ー思わず目がいってしまう”お尻”

今回の展覧会で初めて知った概念に「コントラポスト」というのがあります古代ギリシャの彫刻の規範で、片足に重心をかけて立ち、からだ全体がS字を描くポーズのこと。身体に少しひねりを加えることで、スクッと立つ静的な像より、筋肉や骨格に動きが生まれ、彫刻表現が豊かになります。

またこのコントラポストのポーズを取った像は、右の臀部(お尻の部分)は盛り上がり、左の臀部は弛緩して垂れ下がるそうです。なので、展示の途中から像のお尻をかなり注目して見るようになってしまいました。まさかお尻に彫刻を味わうポイントがあったとは…。

そうかと思えば「22.盾を持つ若者」のようにお尻が左右対称なルネサンス期の作品も。この彫刻が依拠している美意識はコントラポストが出現する前の「アルカイック期」のものだそうです。彫刻のお尻を見ながら、作品を味わい分ける体験…。なかなか面白い。 

その「22」を含む「Ⅰ-3 アスリートと戦士」では古代のアスリートや戦士が、ルネサンス期の裸体美術の最良の教科書として紹介されていました。アスリートや戦士の様々な身体のポーズが作家の想像力を掻き立てたというのはよく分かります。

なおローマ人は征服したギリシャ人たちの美術に相当な憧れを持っていて、ギリシャの彫刻をかなりコピーしました。これをローマン・コピーと言います。そういえば学生時代、世界史で、美術はギリシャが優れていて、実用的なこと(水道、道路、はたまた法律など)はローマが優れていた、というようなことを習った気がする。

 

彫刻の顔は”抽象的”ー個性を表現するものではない

「I−2 顔の完成」では様々な彫刻の顔に注目して作品が集められています。ただこのコーナーの説明書きが面白かったのは「ギリシャ人にとって、顔も個性の表現ではなく理想的な相貌の表すものであり、その意味では抽象的な表現だった」という内容の説明があったことです。理想の身体美がありうるように、理想の目、鼻、口の配置がある、と。だから結果としてどの彫刻の顔も似てきます(男か女かですら判別できないものもあるとか。理想の美は性差も超えるということか)。神様の顔にもやはり個性はなく、雷霆(らいてい。雷を落とすもの)だったらゼウス、三叉の矛ならポセイドン、というように見分けます。ギリシャ人の理想化、抽象化は徹底してますね。だからこそ、ルネサンス期には1000年以上経っているのに、美の基準として彼らの美意識が復活したのかもしれません。普遍なるものは強し…。

また彼らにとっては徳の高さは外見の美しさにも表れるものだったらしいです(ギリシャ語で カロス・カイ・アガトス)。外面と切り離された隠された”内面性”がある、なんて考え方は近代以降の我々の感覚なのかもしれません(今でも田舎に行けば、思ったことを全部言っちゃうおっちゃんおばちゃんもいますが…。そういうことではないか…)。

 

ギリシャ神話と聖書は西洋文化の源泉

「I−4 神々と英雄」そして「Ⅱ ミケランジェロと男性美の理想」ではギリシャ神話の神様や英雄(ネプトゥヌス、ヘラクレス、アポロン)、そして旧約聖書の登場人物(ダヴィデ、ゴリアテ)が続々登場します。こういうところに来ると、ギリシャ神話や聖書のエピソードに詳しかったらなあ(仮定法!)と思ってしまう。そこから汲み取れる感興がぜんぜん違うでしょうから。絵画の世界でも19世紀のフランスのクールベなんかが出てくるまでは、美術の主題って宗教もしくは歴史の題材ばかり。美術を見ていると人々の教養のベースがなんだったか、うかがい知れます。

日本も状況は同じ。『名作誕生ーつながる日本美術』の展覧会では、源氏物語や伊勢物語の一場面は、絵画の主題や図柄のモチーフとして繰り返し登場していました。

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いよいよ登場!ミケランジェロ

「Ⅱ ミケランジェロと男性美の理想」の作品番号48・49でいよいよ御大ミケランジェロの作品が登場します。でもよくよく考えたら、ミケランジェロの作品はこの2作品だけなんですよね。 ミケランジェロ見たさに来た人はいささか肩すかしかも。

「48.ダヴィデ=アポロ」はダヴィデかアポロか未だ判然していないため、こういうビミョーな名前がついているそうです。ダヴィデだったら投石器(石を投げて攻撃する武器)、アポロ(アポロン)は弓術の名手なので、矢筒、というのがそれぞれのキャラのお約束らしいのですが、どちらも像に作られていないのだとか。

身体のひねり具合など「こうやって彫刻に動きを作り出しているんだな」とか「表情はやっぱりギリシャの理想的相貌に近いのだな」いう風に今まで学んで来たことの総決算としてこの像を眺めるのが楽しい。

「50.若き洗礼者ヨハネ」はスペイン内戦で像が傷ついてしまったものを、長年の修復で蘇ったもの。片足に重心をかける伝統のポーズをとっています。お尻はラクダの毛皮で覆われていて、お尻の肉の造形までは分かりませんでした。

 

唯一の”撮影OK”の彫刻は素晴らしかった!

展示されている像のうち「58.ラオコーン」という大作のみ撮影がOKでしたが、これが良かった!

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ラオコーンというトロイの神官が、その息子たちともども蛇に襲われている場面。ラオコーンの身体のひねりには躍動感があり、息子たちの嘆き・苦悶の表情なども劇的で、 素晴らしい彫刻でした。あとこの作品にたどり着くまでに、数々の作品とその解説が自分の彫刻に対する鑑賞眼を育ててくれた気がする。

 

ミケランジェロは神話的芸術家

展示の一番最後は「III 伝説上のミケランジェロ」。ここでは「モーセ像を制作するミケランジェロ」という作品が2つ出ていて、いずれも”彫刻を制作中のミケランジェロ”を彫刻にするというユニークなものでした。言うなれば彫刻家のメイキング映像を彫刻で作っちゃった、みたいなもので、そういう趣旨の作品を作りたくなってしまうほど、後世の芸術家にとってミケランジェロは偉大だったのか、と感心しました。

 

最後に

作品順など彫刻についての理解を深められるよう上手に構成されていて非常に有意義な展覧会。見終えると彫刻の見方が変わると思います。

 

会期

  • 国立西洋美術館 6月19日(火)〜9月24日(月・祝

 

※ロダンの「接吻」と題されたヌードの彫刻について書いています。

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