歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

『村上春樹の100曲』刊行記念トークイベント・感想(2018年7月9日@B&B)

音楽と文学。大人のごった煮トーク。 

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村上春樹は音楽の先生

村上春樹の文章が好き。中身に何が書いてあるというよりも、あのツルツルとのど越しがよく、読んでて全くストレスのない文体がいいんです。小説もエッセイもだいたい一度は読んでいると思うけど、小説世界にどっぷり浸かるというより、文章を頭の中で鳴らしながら、スムーズに読み進めていく感じが好きなので、どちらかというとエッセイの方を繰り返し読んでるかも。

あとけっこう昔の本ですが、「そうだ、村上さんに聞いてみよう」「これだけは、村上さんに言っておこう」という人生相談本の軽いトーンが心地よくて、何も読む気がしない時でも、何となく本棚から取り出して、パラパラめくって眺めたりしていました。一つ一つの相談のQ&Aが短いので、どこから始めてどこで終わってもいいんですよね。こういう心を軽くマッサージしてくれる本を持っておくと、時々助かります。

 

あと音楽についての文章。ちょっと気恥ずかしい告白ですが、先にある音楽を知っているというよりも、村上春樹のエッセイを先に読んでそれからCD買ってみる、みたいのをよくやってました。特に「ポートレイト イン ジャズ」というジャズのエッセイ集にはほんといろいろ教えられました。ホレス・シルヴァーとかこの本に出会わなかったら絶対聴いてないし、前から好きだったビル。エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビィ」というアルバムなども「さすが、村上春樹。こんなふうに音楽を言葉に変換するんだね…」などと感心して読んでいた。

 

さてそんなふうに村上春樹を、ある種自分の”音楽の先生”と考えているようなところがあるので、集客サイトPeatixで、『村上春樹の100曲』刊行記念トークイベントのお知らせを見たときに、そんな本の刊行も知らなかったのに即エントリーしてしまいました。本はこちら。

村上春樹の100曲 (立東舎)

村上春樹の100曲 (立東舎)

 

 イベントではどんなトークが繰り広げられたのか。レポートします。

 

トークしたのはこんな方々

※『村上春樹の100曲』のプロフィール欄から抜粋。敬称略。

  • 栗原裕一郎…評論家。文芸、音楽、社会問題などその執筆活動は多岐にわたる
  • 鈴木淳史…音楽エッセイスト・評論家(クラシック音楽)
  • 大和田俊之…慶應義塾大学法学部教授。専攻はアメリカ文学、ポピュラー音楽研究
  • 大谷能生…批評家、音楽家(サックス、エレクトロニクス)

正直、知っている人はいませんでした…(スイマセン!)。でも4人の和気あいあい感が心地よく、見てて楽しい方々でした。トークイベントはその人の名前と共に人柄までも吸収できるのがいいところ。

 

音楽&トーク!これはいい

4人が登場される前にB&Bのスタッフの方が「1時間半ぶっ続けのトークだが、途中音楽かけながら進行します」的な案内があり、音楽&トークとかそのままラジオみたいで楽しいじゃん!と期待感が高まりました。実際に4人が登場されると向かって一番左端に座った大谷さんなどCDとレコードをたくさん持ち込んでいて、ご自身も楽しそうでした。

 

『村上春樹の100曲』 表紙はディスクユニオン?

表紙のイラストはCD・レコードショップのディスクユニオンで、村上春樹がディグってる(レコードを探している)場面なんだそうです。しかし村上春樹の監修(許可?)を受けたわけではないとのこと。

 

 『村上春樹の100曲』は売れている

当該本は2018年6月15日第1版1刷発行で、現在3刷。中国語訳も決まってるそうです。村上春樹ビジネスはすごい!とは出演者の弁。

 

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」をめぐって

文芸誌「文學界」の6月号に村上春樹の新作の短編が3編掲載されている。そのうちの1つが「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」。それはこんな話。

  • 主人公の「僕」が大学時代にパーカーが演奏するボサノヴァのアルバム「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」を出した、という想定で、架空のレコード評を書く。
  • 15年後、ニューヨークの中古レコード店で「僕」はそのアルバムを偶然見つける。翌日、購入しようと店を再訪すると、そんなアルバムは存在しなかった。
  • 最近「僕」はパーカーの夢を見た。夢の中でパーカーは「コルコヴァド」を「僕」のためだけに演奏してくれる。
  • パーカーは自分が死ぬとき、ベートーヴェンのピアノ協奏曲一番第三楽章のメロディーが頭の中に取り憑いて離れなかったことと「僕」に話す。
  • パーカーはボサノヴァを演奏させてくれたことについて「僕」にお礼を言って消える。

この小説をめぐっての会話はこんなのがありました。

大谷:チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァは弱い。ビートルズだったら聴く気がする。

大谷:物証はないけれどパーカーがクラシックばかりを聴いていた、という話はある。特にバルトークとヒンデミット。

大和田:あり得たかもしれない”パーカーがボサノヴァを吹く”という世界を描いているという意味で春樹的。

イベントではこのパーカーに取り憑いたベートーヴェンのメロディはいったいどの部分だったのか、というのを特定するやりとりが始まりました。「ここピアノが流麗に流れてる」「ここパーカーっぽくない?」みたいな会話が交わされました。

途中からはパーカーの曲とベートヴェンを同時に流して「意外とBPM(テンポ)合ってるじゃん」という場面も。大人が音楽をダシに遊んでいる様子が微笑ましかった。

 

小説内登場人物の鼻歌はヘン?

大谷さんによれば、春樹の小説内の登場人物は「そんな曲を鼻歌する?」というものが多いのだとか。例に出てきたのはロッシーニの「泥棒かささぎ」。実際に音楽も流された。ファンファーレのような派手な音楽でした。

大和田:鼻歌できそうですよね。

大谷:でも、ふつうはしないよね。

大和田:片山杜秀さん(大和田さんと同じく慶應大学教授)はレコードの溝見ながら鼻歌しますよ。

みたいな会話も。レコードの溝見ながら鼻歌するってどんな状況なんだろう。

 

ビーチ・ボーイズに目をつけるのがすごいらしい

大谷さんは、編集の栗原さんに春樹の音楽についての執筆を頼まれるまで「村上朝日堂」とか「意味がなければスイングはない」みたいなエッセイしか読んでいなかったんだとか。それでデビュー作の「風の歌を聴け」を読んでところ、「ちゃんとしてんじゃん!」と思った。大谷さんいわく、この小説が書かれた1978年にビーチボーイズを取り上げているのは村上春樹の慧眼らしいです。今なら鬱病などもわずらうブライアン・ウィルソンに死の影を感じるのは一般的な認識になっているが、当時はそういうふうにあのバンドを感じるのは珍しかった、と。

大和田さんが補足されてました。

大和田:春樹はペットサウンズ(ビーチ・ボーイズの傑作として知られるアルバム)を買っていない。ビートルズのサージェント・ペッパーズは出た瞬間、(春樹は)傑作と感じたが、ペットサウンズのすごさは分からなかった。

 

「国境の南」とポスト・トゥルース

小説「国境の南、太陽の西」の中で、ナット・キング・コールが「国境の南」という曲を歌う場面が出てくる。しかし実際にはナット・キング・コールはこの曲をレコーディングしていない。

大和田:ナット・キング・コールが「国境の南」を歌うという”ありそうでない”感がすごい。パラレルワールド的なある種の架空の世界。信じれば世界はある。ポスト・トゥルースとして読める。

このナット・キング・コール「国境の南」については本の中でも取り上げられており、やはり大和田さんがレビューしています。

(ナット・キング・コールが「国境の南」を歌う)不可能な世界のリアリティーこそ、村上春樹が一貫して描いてきたものなのだ。

村上春樹がそこまでの深い意味を込めて、この歌手にこの曲を歌わせたかどうかは分かりませんが(大谷さんはケアレスミスでしょう、と言っている)、その部分にここまで深い意味を読み込むのがさすがアメリカ文学/ポピュラー音楽の研究家といったところでしょうか。

ちなみに「春樹はモダンジャズの店をやっていたくせにポップスに強い」とは大谷さんの弁。

 

村上春樹の”音楽を見る眼”の確かさ

鈴木さんが、「もし村上春樹がサッカー・ワールドカップの観戦記を書いたら…」という朝日新聞の記事に言及。春樹の文体を模倣して書いたのは「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」の筆者の一人、神田桂一さん。記事はこちら。

代表戦観戦記、村上春樹さんになりきり書いてみました - 2018ワールドカップ:朝日新聞デジタル

鈴木さんいわく「この文章は音楽の扱いが雑」「春樹ならBGMはマーラー交響曲第七番…みたいな書き方はしない。音楽はBGMのように背景に追いやられるものではないから」と。そこに気づいている鈴木さんもさすが。村上春樹の小説では音楽は単なる背景よりも、もっと小説世界の構築に積極的な役割を果たしている、ということか。

このトピックに関しては以下の会話も。

大和田:逆説的に春樹の音楽に対する正確さが分かった

大谷:文学関係者はふつう音楽に関してはおおざっぱ。ストーンズとビートルズは同じイギリスでしょ、みたいな。

 

その他面白かったトーク

非常に断片的ですが、興味深かったトークをまとめておきます。村上春樹に関係ないのもけっこうありました。

大谷:春樹は西海岸好き。おおざっぱに言うと、ポパイ好き。

大和田:春樹は自転車に凝りそう。西海岸だけに。

大谷:春樹はベルリンフィルよりニューヨークフィルが好きって言いそう。

鈴木:春樹は完全にアメリカのクラシックが好きとは言っていない。世間にはアメリカのクラシックが嫌いな人はたくさんいる。

大和田:ジャズの人がやって成功したボサノヴァはあるのか?

大谷:ない!

大谷:ナチスドイツのマグネティックテープによる録音技術はすごかった。二次大戦中、ソ連がドイツの放送局を占拠して、そのテープを持って帰った。

鈴木:小説「騎士団長殺し」は小説はいいが、音楽は弱い。

鈴木:小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の歳」は音楽がないと成り立たない。音楽がないと中2病的。これはオペラみたいなもの。オペラもストーリー的にひどいが、音楽と合わせるといい。

 

最後に

『村上春樹の100曲』のトークイベントと言いながら、その本に言及することはさほどなく、文学・本・音楽について博覧強記な大人4人が思つくままに会話をしてる、というだけでしたが、逆にその脈絡のなさが面白く、自分の脳内でさまざまなカルチャーを旅しているようでとても楽しめました。

8月5日には村上春樹が東京FMでラジオDJすることにも触れられてました。

村上RADIO - TOKYO FM 80.0MHz - 村上春樹

いったいどんな音楽&トークなのか、こちらも楽しみです。ラジオ聞き終わったら、この本を開いて二度楽しめる。最高だろうな。