歴史探偵

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本「知性は死なないー平成の鬱をこえて」感想③〜患者の目から見たうつ病〜

うつ病を理解するのは難しい。

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躁うつ病(双極性障害)を患った著者の與那覇さん。本の中で一章を割いて実際に病をかかった者から見たうつ病の現状について書かれている。與那覇さんくらい物事を論理的に語れる人が患者の立場から書く"うつ論"は貴重だと思う。今回の記事ではその部分から自分の心に残ったポイントをまとめてみます。なお青字は自分の感想・考えです。

 

”うつは「こころの風邪」”という表現の両義性

この表現はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という副作用&オーバードーズ(飲みすぎ)の危険が低い薬が国内で認可された、1990年代末に定着した。うつ病も気軽に医者に相談してもらおうという狙いで唱えられた。

一方、こうしたうつ病の"カジュアル化"は医者にかかって薬をもらえばすぐ治るだろう、というもうひとつの偏見を生み出した。

そもそもうつ病の薬は服用すれば誰にでも効くというものではない。3〜5人に1人しか薬が即効性を持たない。が、抗うつ薬なんて意味がない、という極論に至るのも理性的ではない。

→うつは「こころの風邪」という表現もこのようなうつ病の実態を踏まえたうえで使うべき。

 

うつは意欲が低下するのではなくて、能力が低下する

與那覇さんは「自分の体験にそくしての話ですが」と前置きしたうえで、うつ病は例えば文章を読んだり書いたりできなくなるなどの「能力の低下」ではないか、と語る。そして自分がそのような仕事に必要な能力を失うがゆえに意欲の低下が結果として起こるのではないか、とする。その他の能力低下の具体例として、他人と会話している際に反応するスピードが落ちたり(動作の緩慢化)、じっと座っていられずそわそわして同じ話を繰り返したり(集中力の喪失)、健康時にはすらすら喋れたことばが口から出てこなくなったり、そもそも頭に浮かばなくなったりする(思考の鈍化)がある。これらの能力低下のことを医学的には「精神運動障害」と呼ぶ。

重篤なうつ状態で受ける「心理検査」も客観的な知能テストに近いものになる。そしてうつ状態の時の方がIQも低く出る。

うつ状態で生じる「からだの重さやつらさ」「出勤の足が重い」「嫌な行動に乗り出す意欲が起きない」などは医療現場では「鉛様(えんよう)の麻痺」と形容され、本人の主観では身体が鉛のように重く感じられ、自分の意思ではどうしても動かせない状態である。

→真のうつ病は、いわゆるヤル気がない、といった状態とは明確に区別できる、という認識がもっと一般に広まる必要がある。そうしないとうつ病患者が不当な偏見を受けてしまう。

 

”うつ状態”と”うつ病”―日常用語と医学用語が紛らわしいという問題

ネガティヴな思考にとらわれていることを「抑うつ気分」、気持ちだけでなく能力や身体の面でも不調が生じていることを「抑うつ症状」と呼び、これらの総称として「うつ状態」という用語がある。しかしこれはうつ病の程度が軽いということではなく、どの病気に起因するものかはまだ特定できないという意味。

うつ状態は躁うつ病からでも、統合失調症からでも引き起こされる。

「うつ」という同一の言葉が、日常用語・症状の名称・病名として相互に異なる意味を持っていることは、病気に対する社会の理解を深めるうえで、大きな障害になっている。ゆえにいかに病状が深刻でも「うつで仕事ができません」となかなか言い出しづらい現状がある。その”うつ”という言葉が日常のふさぎこんだ気分、を表すときにも使われるから。

→自分が仮にうつ状態にあったとしたら、きちんと医師に診察してもらって、医学的に認定された「うつ病」である、と言わないと自分の身を守ることにはならないのかも。

 

うつの人への声かけは難しい

うつ病の特質のひとつは反応性の欠如。ほんらいなら楽しいはずのことでも楽しめなくなる。これが進行すると無快感症(アンヘドニア)になり、文字通りいっさいの喜びを感じない、おいしい食事の味がしない、性的行為さえ苦痛…となる。

ゆえにうつ病の人にTVのお笑いでも見たら、とかライヴコンサートに行けば、などというのも相手を困惑させるだけの場合もある。

→うつ病には無理な元気づけなどしない方がいいのかも。

 

うつ病の原因の特定は難しい

うつ病の原因ないし発症の背景として「過労はストレス」があって発病する人もいれば、それなしでもうつ病になる人がいる。ゆえにうつに苦しむ専業主婦の人を「仕事もしていないくせに…」とののしってもいけない。また「休ませてやればうつ病は治るだろう」と短絡的に考えることもできない。仮にストレスが原因だったとしても「骨が折れてから、重りを取り除いても、元に戻らない」ように、ストレスを除去したとたんにうつ病がみるみる治ったりはしない。

逆にストレス源をひきはなすことで症状が軽減する場合は、うつ病でなく適応障害と診断される。

また「うつ病になりやすい性格がある」というのも現在は疑問とされている。

さらにうつ病は遺伝する、というのも科学的にまちがった認識。

→Aの因果があって、Bの結果が引き起こされる、みたいに単純な因果の法則が適用できないのがうつ病(というか人間のやってることは全てそうかもしれないが)。このうつ病の複雑さ難しさをメディア含め共有する必要がありそう。

 

新型うつ病という言葉を安易に使うべきではない

新型うつ病とは、2010年前後、「精神科医にさえ理解不能な『新しいうつ病』で、会社に出てこなくなる(おもに若い)社員が増えている」という形で流布された概念。

しかし、新型うつ病は正確な精神医学用語ではない。

また時代の変化もある。精神病に偏見のある時代なら自分が精神病だと診断されたことも否定する人が多かっただろうが、偏見が解消されつつあるならば、受け入れられる人も増えてくるだろう。

精神科医についても医学用語ですらない「新型うつ病」を振りまわすくらいなら患者に「私には、あなたは病気に見えない。その診断に納得がいかなければ、他の医師を受信してほしい」と告げるべき。

→病気はある意味、社会の関数なのだろう。人間がうつ状態にあったとしても、それを言い出せるか、診察に行けるか、診断をもらって受け入れられるかなどは社会的な諸条件(通年や雰囲気)の変化でそれが病気になったりそうでなかったりする。仮に精神医学史を学べば、それはそのまま社会が人間の精神をどう扱ってきたかの自画像が完成しそう。

 

カウンセリングとの関わり方

カウンセリングの料金は高価。しかしこれは健康保険が効かないからであって、高価だからといって、よく効くというわけではない。

またカウンセリング(精神療法)には効果を得やすいうつ病とそうでないうつ病がある。前者は過去のトラウマや周囲のストレス、それを許せない自分の性格といった特定可能な「なんらかの原因」が比較的はっきりしているうつ病、俗にいう相対的に「軽い」うつ病に効く。逆に原因の判別不能な「重い」精神病にはさほど効果がないとみられている。

薬を使わないからといって、副作用がないわけではない。金銭的負担にも関わらず、この人がいなかったら生きていけない、と思い込むようなことになればそれが副作用。

カウンセリングにかかりたければ信頼できる医師に紹介してもらう、低額な公的サービスを探すなどリスクを減らす手順を踏んだ方が良い。

 

認知行動療法との関わり方

認知行動療法…生活の中で自分自身が不快な気分になったり、悲観的な考えを持ってしまった場面を取り上げて、「ほんとうにそうなのか。むしろ自分の考え方(認知)に特有のクセがあるせいで、必要以上にものごとを悪くとらえている可能性はないか」を検討するというもの。與那覇さんの治療にも有効だった。

短所もある。患者自身の「思考のクセ=認知のゆがみ」に介入していく療法なので、「やっぱり本人が悪い」と発病の責任を全て本人に帰してしまう考え方と結合しやすい。

認知行動療法を実あるものにあるには、信頼できる治療者の存在や仲間が必要。「だれでも、いつでも、やればかならず効果の出る特効薬」のように誇張されたイメージが広がるのはよくない。

→カウンセリング、認知行動療法とも即効で効果が上がるものでもない。うつ病の病気そのものと同じでじわじわ付き合っていくものな気がする。それだけ人間精神が複雑だということなのだろう。かえすがえすうつ病には”単純化”が一番よくない。しかし人間、特にメディア化は単純化したがるし、一方で受け手の我々も単純化されたものでないと、面倒になってしまって受け入れないところもある。もし自分や周りがうつ病の当事者になったとしたら、その時くらいは”単純化の悪癖”から逃れてやっていきたい。

 

 

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