歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

本「日本史のツボ」感想②〜日本人は何を信じてきたか〜

「安定」と「外圧」のはざまで。

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※感想①からの続き

 

日本の根底にあるのは「安定&まったり」の多神教

日本の宗教の一番根っこにあるのは多神教=「八百万(やおよろず)の神々」神々同士(神々を信仰すること人間同士)も相手を滅ぼすまで戦ったりせず、共存し続ける。また多神教は吸収力が強い。外国の宗教や神々も取り込み、同化していく。

 

日本人は「安定&まったり」好みだから世襲原理もお好き

世襲原理は日本の組織原理の要のようなもの。試験など(例えば中国の科挙)で人を選抜するのではなく、生まれた家柄で序列を決める。これも日本人の「安定&まったり」志向の現れと言える。

奈良時代はその後の平安時代と比べると、まだ世襲原理がゆるく、能力主義的登用もあった。その代表例が地方豪族出身の学者である吉備真備。

 

「安定&まったり」を脅かすのは「外圧」

663年の白村江の戦いで、日本&百済連合軍は唐&新羅連合軍に大敗。日本は国家的危機に。

天皇は自分の権威付けして、他の豪族との差別化を図るため、「古事記」「日本書紀」で自らの正統性を内外に示した。この時点で神道が体系づけられた。

同時に天皇家は仏教の受容を進めた。聖武天皇による国分寺、東大寺の大仏建立などがその例。仏教を国家の軸となる思想にしようとした。

つまり神道と仏教はほとんど並行して、しかもどちらも天皇家によって、形成され受容された。

(付記)天皇家では神道と仏教のどちらが重視されてきたか?これは間違いなく仏教。神官よりも僧侶の方が格段に位が高い。

 

「安定&まったり」な平安時代に宗教はどうなったか

仏教は国家に取り入れられが、結果として聖なる存在としての独立性が乏しくなり、修行や教義の研究などより、形骸化した儀式を重んじるようになった。

空海が中国から持ち帰った密教。密教は論理による覚りよりも、摩訶不思議な力が働くところに本当の覚り、真理がある、というもの。この密教に現世利益を重視する平安貴族は飛びついた。しかもこの時期に唐が衰退してゆき、中国に追いつくという必要性も薄れたことも、仏教の儀式化、おまじない化に拍車をかけた。

またこの仏教の形骸化と貴族の世襲原理が組み合わさってしまった。延暦寺、醍醐寺などの大寺院の中に「院家(いんげ)」という存在があらわれた。院家とは寺院の中の寺院で、寺本体とは別の本尊、別の堂舎、別の財産(荘園など)を持っている。有名なところでは延暦寺の青蓮院・妙法院・三千院、興福寺の一乗院・大乗院、醍醐寺の三宝院など。

この院家が世俗の貴族と結びつく。貴族の長男が、当家を継ぎ、その弟が院家の院主となる。院主は出家の身なので、妻帯不可、後継ぎも生まれないが、その場合長男の子を次の院主とする。このように疑似的な世襲を続けていく。また貴族の世界の摂関家(摂政・関白を出す家柄)、その次に格が高い清華家、その次の大臣家(大臣を出す家柄)、その次の羽林家…といった序列が院家にも持ち込まれ、上位の貴族と結びついた院家が寺院としても格上となる。

 

鎌倉時代は民衆が自前の宗教を獲得した

著者の本郷和人さんによれば、鎌倉新仏教は革新的だった(この考えは学会では少数派らしい)。浄土宗を中心に鎌倉新仏教の意義を見てみる。

浄土宗を説いた法然の教えを要約すると、阿弥陀如来をひたすらに信じ「南無阿弥陀仏」と唱え続ければ誰でも極楽浄土に往生できるとするもの。

この浄土の教えは二つの意味で「やさしい教え」。

  • 名もない人々の救済を目指すという意味で「優しい」
  • 誰でもできるという意味で「易しい」

この2つのやさしさは鎌倉新仏教に共通する。修行の厳しさで知られる禅宗だが、誰もができるという意味では易行である。

この鎌倉新仏教は鎌倉幕府の成立ととも並行した現象。鎌倉幕府は、地方で実際に土地経営していた在地勢力の自立の結果、誕生したもの。在地勢力が自分の土地を自分で守り、連合して自前の秩序を作ろうとした動き。

宗教面では民衆が自前の教えを求めた結果、鎌倉新仏教が生まれた。

 

一神教的な一向宗は信長と鋭く対立した

浄土宗から生まれた一向宗。阿弥陀如来を絶対的な存在ととらえ、日本には珍しく一神教的な色彩が強い。

戦国時代、一向宗が広まったのは、北陸・中部・近畿など生産性の高い当時の先進地域。それらの地域で発達したのは「惣村」と呼ばれる自治的な組織。独裁的なリーダーはいない。この惣村に一向宗が入り込むと「仏の前での平等」が形成され、強い団結力を発揮するようになる。

この一向宗の原理は、信長の、自らを絶対的な存在とするピラミッド型の支配原理と真っ向から対立する。したがって信長は一向宗の人たちを大量虐殺した。

 

「安定&まったり」な江戸時代に宗教はどうなったか

江戸時代の仏教は完全に国家体制に組み込まれた。それを象徴するのが江戸時代に作られた寺町の風景。日蓮宗の隣に禅宗、その隣に浄土真宗といったように宗派の違いなども関係なく並べられている。寺院は江戸幕府に管理され、宗派の意味さえ限りなく希薄になってしまった。

住民は檀家として特定の寺院に所属させた(寺檀(じだん)制度)。寺は住民が自分の檀家である寺請(てらうけ)証文を発行するなど、住民管理を担当させられるかわりに、葬式やお布施などの収入を独占でき、収入源を確保できた。

 

「幕末」という外圧の結果 生まれた宗教とは

黒船に始まる外国勢力の台頭に日本は再度、アイデンティティ構築の必要に迫られた。そこで明治政府は天皇を中心とした国家づくりを思想的に補強するため、仏教や儒教ではなく、日本古来の神道をもってきた。

しかしこれには無理があった。もともと神道の本質は安定&まったりの多神教。それを「国家神道」として天皇中心の一神教的な体裁にした。肝心の天皇も神道より仏教とのつながりの方が強かった。そこで邪魔な仏教を排除しようとして廃仏毀釈も起こった。

 

「敗戦」という外圧のあとは…

敗戦で国家神道=天皇教も否定され、戦後日本は宗教そのものが軽視されるようになった。

 

余談:意味の分からないお経を聞かせられる意味って?

日本ではお経は全部漢字漢文。本来、仏教とは釈迦の教えを知ることで解脱への道を歩むことにあったはずなのに…。中国ではサンスクリットを漢字にしたが日本では、自分の国の言葉に訳していない。

自分も先日、お葬式に出て、長い時間意味の分からないお経を聞かせられることの意味って何だろう、と考えてしまった。日本人はいまだに仏教を、真には受け入れていないのかもしれない。

 

 

※感想①はこちら。天皇について書いています。

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