歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

出口治明さんの日本史おもろい!~文藝春秋6月号より~(前編)

食わず嫌いはいけない。

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文藝春秋六月号より

 

歴史が好きなので、たまに書店に行って歴史本コーナーをチラリとのぞいて、今人気の歴史研究者の方をチェックしたりする。そして何年か前から出口治明さん(現在、立命館大学アジア太平洋大学学長)の著作がけっこう目立つなあという感じはしていた。「読みやすそうだし、一回くらい読んでみようかな…どうしようかな…」と思っていた。

 

でも出口さんの経歴を見て、日本生命からキャリアをスタートされ、ライフネット生命を創業された人だと知り「金融・保険のビジネスマンとしては卓越された方なんだろうけど、歴史の語り手としてはどうなんだろう…」といぶかしく思っていた。

そう、ご本人の著作を読んでもいないくせに、食わず嫌いをしていたのである。

 

でも今回、文藝春秋六月号の「日本史の常識が変わった」特集をたまたま図書館で見つけ、そこに掲載されていた出口さんの文章を読んでみたら、これが相当面白かった。自分の知らなかった歴史のツボをクイクイ押される気持ちよさがあった。今まで勝手な思い込みをしていてスイマセン…という感じ。

 

ということで、その文藝春秋の出口さんの文章から、自分がハッとしたり、「おお、なるほど!」と思ったポイントをブログにまとめておきたいと思います。

 

紀元前1世紀〜6世紀(弥生時代~古墳時代)まで日本は"人"を輸出していた。

人を輸出していた、というのは傭兵を送り込んでいたということ。その頃、中国や朝鮮半島では戦乱期であり、日本からの兵士は歓迎された。見返りに日本は鉄や先進文化を受け取っていた。

しかし中国で589年に隋が、618年には唐が成立。朝鮮半島でも7世紀に新羅が国を統一すると、傭兵の価値が下がった。日本はまた別の海外戦略を立たざるを得なくなった。それが古代の「鹿鳴館政策」。

 

古代にも「鹿鳴館政策」があった

鹿鳴館政策とは海外(この場合、中国)からの目を意識し、日本も文明国ですよ〜と見栄を張ること。

具体的には、冠位十二階憲法十七条をととのえる、小野妹子に「日出る処の天子…」で始まる国書を持たせて隋に派遣するなど、のこと。

また663年白村江の戦いで唐・新羅にボロ負けしたあとは、恐怖心が高まり、防御を固め、国の骨組みをつくり上げることに注力する。

「日本」「天皇」という国号・称号を用いるようになる、長安ふうの都を造営する、律令を定める、日本書紀を編むなど。

しかしこれらの国の骨格づくりは、当時の日本の国力にしては重荷だった。だから都造りはどれも中途半端に終わった。律令も中国では皇帝が代がわりするたびに作り直されるが、日本では「大宝律令」とそれを受け継いだ「養老律令」以降、誰一人作ろうとしなかった。日本書紀も中国の歴史書に倣うならば、本紀(紀)・志・世家・列伝・票までのパートがないと完全とは言えないんだとか。だから日本書紀とは実は史書の最初のパートで終わったもの。これは面白い!。

 

ユル〜い国風文化

755年〜763年の安史の乱により唐が弱体化すると、日本の緊張感もゆるむ。唐からの使節も来なくなるから、と中国ふうの身体にぴったりした乗馬服はやめ、高温多湿の日本に合ったダラっとした着物に変える。椅子と机もやめて、床にじか座りになる。要するに国風文化とは緊張感がとけ、もとの日本ふう生活に戻っていったということ。

ただし国風文化といっても中国への憧れがなくなったわけではなく、舶来品も珍重されていた。中国〜日本間の貿易で儲けてやろうという人はたくさんいた。平安時代には博多の港は栄えていた。

 

大量の宋銭が変える日本

10世紀に中国で成立した宋では銅銭が流通していた。しかし宋を滅ぼしたモンゴル帝国は銀と紙幣をキャッシュとした。そのため大量の銅銭が不要になり、日本に輸出されることになった。ものすごいマネーサプライがいきなり生じた。

それまでの日本は土地を基盤とした経済だったが、この銅銭の大量導入による新しい貨幣経済にのっかって、ベンチャー的な新しい商売を始める者が現れた。日本史の教科書で「悪党」と呼ばれる人たちのこと。

この新しい動きに乗れなかった御家人は借金のかたに土地を奪われた。

 

古代〜中世の最大の天才の一人・平清盛

出口さんは平清盛を高く評価する。

清盛は日宋貿易で日本を豊かにするため、水上交通に便利な福原に都を移す。これは源頼朝がのちに行った武士による武士の政治の嚆矢(歴史学者の中にはこれを「福原幕府」と呼ぶ人も)。

清盛は朝廷から軍事・警察権を奪ったわけだから、この時点で朝廷から武家への政権交代が起こったとみるべき(この出口さんの論には異を唱える学舎も多いとは思うが)。

 

それにしても海外(特に東アジア)との連関のうえで日本史を考えるのが大切と説かれるが、出口さんの文章を読んでいると、そのことが実によくわかる。

 

※後編はこちら。

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※大王から天皇へとその存在が変質していった背景に、外圧がある、と論じている新書についての記事です。

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 ※土地が基盤の経済から貨幣経済へ変化することで「武家政権がどのように変化していったのか」について書いた記事です。

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