歴史探偵

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ヌード@横浜美術館・感想

ヌードは裸で、エロティックでもあり、儚い。

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横浜美術館で開催中の展覧会「ヌード」に行って来ました。

基本的に19世紀以降の西洋美術におけるヌード作品の変遷を追っていますが、それらの作品を通じて、その時代のヨーロッパの美意識がどのように移り変わってきたか(古典主義〜自然主義〜印象主義〜フォービズム…みたいな美術史の本によく載ってるやつです)がよく分かるような展示構成になっていた。またヨーロッパってひとくくりに考えてしまいがちだけど、ヨーロッパ各国のヌードに対する意識の違い(イギリスは19世紀になるまでヌードに対して禁圧敵だった等)がものすごくある、というのも初めて知りました。

 

またヌードばかりを見ていくことで、人の裸だけが持っている性質ー普段は服に覆われているという意味での秘密性、性的興味をかきたてるわいせつ性、無防備で外界にさらされることによる身体の儚さーなどに改めて気づかせてくれた。いろんな意味で得られるものの多い展覧会でした。

 

以下、自分なりに興味深かったポイントについて列挙してみます。

 

いちばん美しいヌード

"美しい"の定義にもいろいろあるとは思いますが、いわゆる”綺麗な”という意味でいちばん美しいヌードは 9「プシュケの水浴 」(フレデリック・トレイン)でした。展示のいちばん最初に登場します。解説に「大理石のような滑らかな肌の表現」とあったけど、その肌の透き通ってる感というのは、他の作品の比べても頭抜けていると思った。あとヌードの女性の唇も非常に美しい。唇だけど卑猥というよりひたすらに、ひたすらに綺麗。絵に近づいてずっと見てみたいような作品。

 

鍵穴を通して覗き見た女性たち

テーマ1は「物語とヌード」でテーマ2は「親密な眼差し」。時代的にはさほど変わらないし、展示も隣なのに作風はガラリと変わります。それはテーマ1が性倫理に厳しいイギリスの19世紀絵画の展示であり、題材も神話・キリスト教・古典文学から得られている一方、テーマ2はフランス絵画が中心で、日常生活に根ざした(ドガは「鍵穴を通して彼女たちを覗き見ている」と表現している)自然主義的な作品が集められているから。ドーバー海峡を渡るだけでこれだけヌードに対する意識が変わるのか…というのは驚きでした。

 

テーマ2から印象深い作品をいくつか挙げてみます。

 

15「就寝」(エドガー・ドガ)など、ほんとベッドに入る瞬間中の瞬間を絵にしていて、よくこんな瞬間を写し取ろうとしたなあ、と感心してしまうほど。ドガと言えばバレリーナのような動作的に劇的な瞬間を捉える人か、と思っていたので意外だった。

 

17「座る裸婦ー黒い帽子」(フィリップ・ウィルソン・スティア)。画家の名前も初めて聞いたけど、この絵はクールで非常にカッコいいです。背すじを伸ばした女性に黒い帽子。この帽子が表情を隠しているので、よけい謎めいて見える。現代写真家が撮ったスタイリッシュな写真みたい。

 

またピエール・ボナールという画家についての解説が面白かった。

彼は「対象を観察しすぎることで、第一印象から遠ざかることを避けるために、目の前にいるモデルは描かず、記憶を頼りに描くことを好んだ」らしい。この時代の画家は対象を写し取ることから、キャンバス上に自分の理想的な構図や調和を実現することの方に関心が移っていきつつあったということ。この時代の後にキュビズムのピカソが登場するのも納得できます。

 

ヌードへの造形的なアプローチ

人間の身体を幾何学的な図形で表現したり、激しい色彩で塗り分けたりする、デザイン的な視点の作品群で占められているのが、テーマ3「モダン・ヌード」。

 

34「髪をとかす女性」(アレクサンダー・アルキペンコ)は小さい彫刻ながら非常に魅力的だった。髪をとかしている具体存在の女性がクールに抽象化されていて、その具体と抽象のバランスが素晴らしかった。

 

41「倒れる戦士」(ヘンリー・ムーア)は部屋の中央に置かれた大きな彫刻。戦争で弾を打たれ、倒れる瞬間の兵士の姿。抽象彫刻なのに非常に劇的。ロバート・キャパの有名な戦争写真「崩れ落ちる兵士」を思い出してしまった。

 

42「首飾りをした裸婦」は御大ピカソの作品。ほとんど原形をとどめていない女性ヌードはなんと緑に塗られている。滑らかな肌の表現が神々しいほど美しかった9「プシュケの水浴」から、ヌード表現はここまで進化(変化?)したのか…随分遠くまで来たなあ…と感慨深かった。

 

ロダンの彫刻「接吻」はエロティックか?

テーマ4「エロティック・ヌード」の部屋の中央にドーンと置かれた大彫刻「接吻」この展覧会で唯一、写真が撮れます。

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接吻そのものよりも、重なり合う肉体のヴォリュームが圧倒的。エロティックというより愛の崇高さみたいなものを感じました。展覧会の途中でこの彫刻についての解説動画を見ることができるが、その中では「接吻のはかない一瞬を永遠の存在に変えた」と紹介されていた。言い得て妙です。

そんな風にそれほどエロティックでないにも関わらず、1900年代初頭に発表されたときは物議を醸し、イギリスでの展示の折は作品に布がかけられたらしい。

 

ヌードに静物を置いてみると…

テーマ5「レアリスムとシュルレアリスム」では、ヌードのかたわらに肉やパンなどの静物が置かれている作品がありました。なぜだろう、そういう演出されるだけで、ヌードの生物感が強調され「身体って移ろいゆく存在なんだな…」と不思議な感覚を覚える。

 

80「うお座(女性と彼女の魚)」は、女性の背中のヌードを弦楽器に見立てた写真で有名なマン・レイの作品。横たわる女性の身体の隣の細長い青魚が描かれているが「女性のヌードって魚に似てる…」というのにハッとさせられて面白い。そういえば井上陽水も「リバーサイド ホテル」という歌の中で、ベッドで行為する男女を魚に例えていた(♪ベッドの中で魚になったあと 川に浮かんだプールでひと泳ぎ)。シュールという意味ではマン・レイの絵画と陽水は相性いいのかも。

 

肉体が油彩画を生んだ?

テーマ6「肉体を捉える筆触」の解説では「1950年代以降、絵画の筆触により人体の物質性と内面性を表した絵画が制作されます」と。

93「布切れの側に佇む」(ルシアン・フロイド)を見ているとその解説の意味が良くわかる。厚塗りの油彩が妙なくらいにヌードの肉感性、立体感、現実感を強調していて、あまり見たことがないような絵だった。構図、色彩だけでなく、筆触というのも絵の魅力を構成する重要な要素だなあと思う。

壁に書かれたアフォリズムにも「肉体こそが油彩画が考案された理由である」(ウィレム・デ・クーニング)とあった。肉体も油(脂)を含んでいるわけだから、肉体と油彩は相性がいいのだろう。肉体を表現したい欲望が油彩画を生んだ、というのもあながちウソではないかもしれない。

 

男の裸が横たわるだけで…

テーマ7「身体の政治性」では、ヌードを通して男女の支配関係や権力関係などを考えさせる作品が並ぶ。

ギョッとしたのは106「横たわるポール・ロサノ」(シルヴィア・スレイ)。ふつうなら綺麗な女性が寝そべっているであろう構図で、ペニスも露わな男性が描かれている。それだけなのにショッキングな作品。ヌード=女性の裸、という通念は心の奥底のこびりついてしまっているものなのかも。

作者は「ゴヤやモディリアーニらが描いた裸婦のポーズを借用し、綿密な観察に基づいて写実的に表現した」らしい。鑑賞者に刷り込まれた「裸婦のポーズってこういうもの」というイメージをうまく利用してこちらの通念に揺さぶりをかけてくる、作者の意図がよく伝わってきます。

 

身体は儚く強い

テーマ8「儚き身体」と題された最後の部屋。出産直後の母親が誕生したばかりの赤ちゃんを抱いている写真(リネケ・ダイクストラ作)が目を引く。むき出しの身体(ヌード)は無防備で確かに儚く、もろいんだけど、この写真からは力強さも伝わってくる。守るべき存在を手にした女性の強さでもあるだろうし、「肉体だけが自分の所有物。これだけは奪われない」という裸の人間だけが与えうるイメージの強さなのかもしれない。いい写真でした。

 

裸=ヌードの多義性をあらゆる角度から味わえる展覧会。6月24日(日)まで。

 

※公式ホームページです。

ヌード展

 

※人体に臓器の面から迫った展覧会。後半、アーティスティックな展示もあります。

www.rekishitantei.com

 

※人の身体の美しさについてじっくり考えられる展覧会。

www.rekishitantei.com

 

※建築を通じて「日本らしさ」って何だろう…と考えさせる展覧会。

www.rekishitantei.com