歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

秋田美人は大名家が作った?~佐竹史料館・訪問記~

大名家の中でも一、二を争う名家。

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佐竹史料館

 

薩摩・島津家と同等の歴史を誇る

佐竹家という大名家がある。徳川家康、織田信長、武田信玄、上杉謙信といったような戦国大名といえば誰もが思い浮かぶ英雄を輩出した家ではないから、少し地味な存在かもしれない。

しかし一方で歴史作家・司馬遼太郎は紀行文・街道をゆく「秋田県散歩」でこう述べている。

江戸期、二百七十余の大名がいたが、ほとんどが戦国期の成りあがりで、源頼朝以来の大名といえば、薩摩の島津氏と佐竹氏しかない。

今、大河ドラマで大々的に取り上げられている薩摩の島津家と肩を並べる家格・伝統を誇るのである。そんなことを言われると俄然興味がわいてくる。

 

入館料100円! 佐竹資料館 in 千秋公園

そこで秋田での出張仕事の間隙をぬって、秋田市内にある「佐竹資料館」に行ってみることにした。ここに行けばきっと佐竹家についてまとまった知識が得られるに違いない。

佐竹資料館は千秋(せんしゅう)公園の中にある。千秋公園は秋田市中心部にある街のシンボル的存在だ。そもそもがこの千秋公園自体が佐竹氏の居城だった久保田城の城跡。公園の一角にある案内板によれば、久保田城には天守閣と石垣がなかったという。石垣が見られないために城跡の公園のわりには土の斜面が目立ちどこか柔らかい景観である。そういえば島津氏の鹿児島・鶴丸城も天守がなかったはず。名家は伝統という権威が自然に備わっているからこれ見よがしの天守など必要なかったのか。それともただの偶然なのか。

自分が公園を訪れたのは2018424日。ソメイヨシノが満開を少しすぎたものの、まだまだ花を楽しめる時期であったが、あいにく朝からシトシトと春の雨。

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せっかくの出ている屋台もしまっていて、公園に来ていた地元の中高生たちがかわいそうだった。

さて、それはそうと、いよいよ公園の一角にある佐竹資料館を訪ねる。入館料は100円。荷物を預けられるようなコインロッカーがあるか尋ねると、ロッカーはないが荷物を預かることはできると女性スタッフさんからの丁寧な返答。。ありがたい。

 

兜に毛虫をつける?

身軽になってまず拝見したのは「黒漆塗紺糸素懸縅具足(くろうるしこんいとすがけおどしぐそく)」と名付けられた兜と鎧。黒漆塗りの鉄を連結している紺色の糸が美しい。

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「へえ~!」と思ったのが兜の前立てのモチーフ。横に長いモコモコ状の前立て(=熊毛)はなんと毛虫なのだという。

なぜ毛虫なのか。3つの言われが挙げられていた。

  • 毛虫は葉を食うもの、つまり、「刃」を食うの意。
  • 毛虫は後退しない、つまり、敵に背をみせないの意。
  • 毛虫はげむじ。つまり佐竹は清和源氏(清和天皇の血をひく源氏の一族)の末裔の意

言いたいことはわかるけど、毛虫を喜んで兜につけていたのだろうか。自分だったら毛虫はいやだなあ。時代が変われば昆虫のイメージも変わるのか。

 

佐竹の国替えと秋田美人

佐竹氏の由来に関する説明書きを読んでみる。

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佐竹とは、佐竹家の先祖が平安末期に常陸国佐竹郷に本拠を置いたことから名乗った姓とのこと。調べてみると今の茨城県常陸太田市(秋田市と姉妹都市)にあたる。その後、南北朝時代、室町時代と関東から奥州一円に勢力を拡大し、秀吉には常陸国を安堵されたのだが、その後天下を獲った家康により秋田へ移封させられたのだという(活動している時代の長いこと!)。

そこで千秋公園のあった小高い丘に城を築き、合わせて城下町を整備していったのが今の秋田市の礎となる。

これは知り合いの茨城県人から聞いたのだが、茨城県に不美人が多いのは、秋田に国を移された佐竹氏が常陸国から美人をごっそり秋田に連れていったからだという。だから秋田は「秋田美人」というがごとく、顔立ちの美しい人が多いのだと。真偽のほどは(もちろん)分からないが、似たような話は名古屋でも聞いたことがある。名古屋に不美人が多いのは家康が、美人を江戸に連れていったから云々…。

自分は秋田に美人が多いとすれば「彫りが深く、二重まぶたがパッチリしている縄文顔が東北には多い」のと「秋田は日本海岸性気候のため、秋〜冬〜春に日照時間が少なく、色白の人が多いから」な気がするけれど…。

 

佐竹氏の都市計画

館内には佐竹氏が築いた久保田城とその城下町についての地図と解説もあった。学芸員さんの話をもとに秋田駅を書き入れてみると、こんな感じになる。

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秋田城郭市内全図

点線で囲んだ堀は今でも一部残っていて、5月にはツツジが非常に美しい。まさに秋田を象徴する景観だと思う。

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地図上部の点線で囲った部分は「外町(とまち)」と言われた町人の町。川(旭川)を挟んで、町人地と武家町はくっきり分かれていたんですね。

なお、有名な秋田の竿燈を出す地域はここ外町に集中している。参考までに秋田市民俗芸能伝承館の展示の写真を貼っておきます。

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頼朝に旗印として賜った「扇」が家紋 

こちらは佐竹家の本陣の旗。扇があしらってある。

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これは奥州平泉攻めの際、佐竹家の先祖が源頼朝に旗印としてもらった5本骨の月が描かれた扇らしい。佐竹家はこれを家紋とした。その謂れを他の大名たちに語るとき、家格を誇って佐竹の殿様は得意だったのでは、と想像する。

 

もう一つものすごく細かい話だが、この旗の竿を通す輪っかの部分(乳(ち)というらしい)には、陰陽道の護身の秘術に使われる安倍晴明の印(五芒星)が描かれている。

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戦場の旗にこういったものが描かれていたとは知らなかった。陰陽道って当時の彼らにとってが科学みたいなもの。命を守るために大真面目にこの印をあしらっていたんだろうと思う。

 

アートな殿様・佐竹義和(よしまさ)

訪れた時期にたまたま企画展「藩主と家臣の書画展」というのも開催されていた。書画の才能に優れ、文化の面においても活躍した藩主と家臣について、紹介するというもの。

特に目をひいた作品もあった。それは9代藩主・佐竹義和(よしまさ)(1775~1815)の画。

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ちなみにこちらがその義和の肖像である。

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画は「松に月之図」という題がついている。自分はそこまで画のことに詳しいわけではないが、殿様の余技のレベルでないクオリティであることは分かる。白く抜いた月と見事なタッチの松のコントラストがカッコいい。

義和は藩校(明徳館)も開き、殖産興業を進めるなど、教育・財政・経済などの分野でも幾多の業績を上げたらしい。おまけにアートの才能もあったとは。秋田が生んだマルチな才人である。

 

佐竹家がまるっと分かる!

このように今の秋田市を作った佐竹家のことが一通り分かる佐竹資料館。入館料も安いし、窓口の応対は優しいし、歴史好きな人は行って損はないと思います。

 

補足:秋田は久保田?

秋田という地名は「古代〜戦国」と「近代」に使われた地名だったらしい。江戸時代は秋田は「久保田」と言われていたようだ。JR秋田駅に格好の説明書きを見つけたので貼っておきます。

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またもともと秋田も「齶田(あぎた)」だったんですね。この漢字は読めないな…。

 

※最古参の大名である佐竹家。その佐竹家のような武士がどのようにして誕生したのか、「日本史のツボ」という新書で分かりやすく説かれています。

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