ニッポンのカルチャーの頂点は90年代なのか。
NHKの「ニッポンのジレンマ」という番組を愛好している。
ニッポンのジレンマの、少しポップなテイストで社会の問題を考えてみましょう、というスタンスが好きなのだ。放送開始当初(2012年1月1日)からほぼだいたい見ていて、ここに出ている人のツイッターをフォローし、今、新しいことを考えたり実現したりする人の動きを知るのも好き。今最も敬愛する知識人の一人・落合陽一さんもいちばん最初はこの番組で知った。
そのニッポンのジレンマのMCである古市憲寿さんと準レギュラーくらいよく出ている大澤聡さん(近畿大学准教授)、そして当番組のNHKのプロデューサー・丸山俊一さんのトークイベントが開かれることを知り、行ってみた。
テーマは[ニッポンのジレンマ ]スピンオフ“80年代論”と“90年代論”のジレンマである。
会場は下北沢のB&Bというセレクト系の書店。本の品揃えに店の人格を感じる、カルチャー好きの人ならきっと楽しい空間だ。「こんな本もあったのか!」という発見が目白押しで、関西で言うと、京都の恵文社一乗寺店とか大阪心斎橋のスタンダード ブックストアみたいなショップです。
イベントが始まって登壇者3人が登場。開口一番、古市さんが
「この会場、縦長過ぎない?」「会場の設計間違ってる」
と、早速軽いディスりを入れてくる。あのディスりキャラはテレビの中だけではないんだ、というのを思い知り、なんだかおもしろい。
トークは副題にもある通り、年代論を中心に進行していく。その中でいくつか印象に残った話と、それについて自分が考えたことを書いてみることにする。登壇者の発言については一字一句正確というわけではないが、大意は合っていると思う。
大澤さん
1990年代は漫画や音楽等、さまざまなジャンルのカルチャーで完成形を迎えた。2000年代、2010年代はその順列組み直しで、リサイクルしているだけ。
→ずいぶん、はっきりと言い切るなあと思った。ただその物言いも分かる気はする。何かのカルチャーでズシッと胸打たれた、というのが、2000年以降はないかも。
ただ判断難しいのは、自分が年を取ってしまっていて、感受性の弾力が失われた結果、カルチャーに感動しなくなっただけなのかもしれない、ということ(ちなみに今、自分は43歳)。時代状況か、自分の内面の問題か、はっきりと判別することは難しい気も。
丸山さん
80年代は混沌としていて、テレビの中にも聖の部分と俗の部分が両方あって、それらは緊張していた。たけしさんやタモリさんのギャグには諧謔味もあった。たけしさんが、公共の電波に乗せて、公然とメディア批判するとかも。それが90年代以降は、クリーンになっていき、あまりテレビで無茶なことは言われなくなった。タモリさんもブラタモリで見られるように、好々爺化している。
→確かに80年代頃は無茶してるテレビもあったのかもしれないが、自分もまだ幼かったので、今のテレビとの冷静な比較は出来ないかも。
あと、今のテレビが退化してるとばかりは言えない気がしていて、例えば「月曜から夜ふかし」とか「ブラタモリ」とか情報をエンタメで見せていく手法は今の方が洗練・成熟していて面白いと思う。そのテレビの”進化”が逆に、ざらざらした手触り感を失わせているというのはあるかもしれない。丸山さんの言う、聖と俗の緊張感というのは、今、ネットに巣くっているんだろうと思う。
大澤さん
80年代は明るかった。テレビも明るかった。
90年代はネガティブな空気がある。暗い事件も多かった。阪神淡路大震災、オウム真理教、サカキバラ事件など。
→この90年代論には完全に同意。
95年1月に阪神・淡路大震災が起きて、その2ヶ月後に地下鉄サリン事件が起きて、日本はこれで終わってしまうのでは…という何とも陰鬱な空気があったことははっきりと覚えている。自分は田舎の生まれ(京都府北部)で、まだ10代だったので、正直言って80年代末〜90年代初頭のバブリーな空気の直接感じてはいなかったけれど、そんな田舎少年でさえ、「時代は絶対未来の方が明るい」と思い込んでいて、バブル崩壊後もその微温的な余韻に浸っていた。それがあの95年ですっかり目を醒めさせられてしまって、その後は「未来に酔えない」悲観的な気分がずっと続いている気がする。
古市さん
90年代の小室哲哉さんのミュージックは世間で思われているほど明るくはない。小室さんの歌の主人公はひとりで過ごしている人ばかり。
(それを受けての)大澤さん
avexレーベルの曲は共感のモチーフで出来ている。歌われている主人公が自分であるような気がする。
「寒い夜だから あなたを待ちわびて」(trf 1993年)
ってどんだけ悲しいねん。ビートが明るいだけ。
→この分析は、ここで言われるまで全く気づかなかった。それともJ-POPカルチャー論の界隈では常識なのか。大澤さんは「90年代は社会が絶望的だから、エンタメくらい明るくいこう」という雰囲気だった、とおっしゃってて、なるほどと納得。
実は今回のトークイベントの中で、自分がいちばん印象に残った瞬間があって、それは大澤さんが「ぼくらは歴史以後を生きている」という言葉を発した時だった。歴史以後を生きる、というのはなんだか大仰な言葉遣いな気もするが、誰もが共通して持っている共通の感覚な気がしている。そしてそれは、自分が所属しているマスメディアの世界の退潮とも深く関わる現象(だと個人的には思っている)。次の記事では、この現象に焦点を当てた考察を書いてみたいと思います。
※続編はこちらです。