今、大ヒットしてるという「漫画 君たちはどう生きるか」。読んでみた。
率直に面白かったです。何度かグッと来たり、ちょっと泣けたり…。
この漫画の基になった同名の作品は書店にズラリと並ぶ岩波文庫の背表紙の一つとしてよく見かけていた。でもそのタイトルがいかにも年配のおっちゃんが青少年を導いてやろう、という説教臭さを醸し出しているので、長年、手に取ろうという気が正直起きなかった(そのうちに自分が年配のおっちゃんの歳に近づいているわけだが)。
ただ今回、その漫画版が100万部を突破した、とのニュースをネットで見たり、NHKでもニュースの特集枠で取り上げられた、というのを聞き及び、手に取ったみたのだ。
拙いなりにこの大ヒットの要因を考えてみると、やはり時代の閉塞感がある気がする。作品には主人公の少年とその少年のメンター的存在の”おじさん”が登場するわけだが、そのおじさんが少年に語りかける。
君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。
自分としてはこの辺りのセリフがすごく響く。そして今の時代の、他の多くの大人たちにも同じく響いているんじゃないだろうか。
ブロックチェーンとかAIとか新しいテクノロジーがどんどん出てきて、時代は激しく移り変わっている。若くて組織のサラリーマンやってるような人は誰もが「このままの古い体制じゃ保たない、自分も報われない」と”心の底から”思っているのに、従来のシステムを運用している既得権益層は、新卒一括採用だの、終身雇用だのに固執して全体設計を変えようとしない。そんな環境の中、不全感や絶望を抱いた若者たちが、自分が感じたことをゴマ化してはいけない!とバシっと言い切られると、自分の思いを代弁してくれた、とこの漫画のメッセージにいたく共感するのではなかろうか(少なくとも自分はそうだ。大きな組織では自分の心に素直に従う人間は鬱陶しがられる)。
…というように、この漫画が掲げるテーマそのものには全く異論はない。100パーセント正しい言説である。ただ少年のメンター的”おじさん”が放つメッセージも、おじさんが少年のことを”愛している”という関係性があるからこそ、その意味、意義を少年も深く感得する、という条件はあると思う。
加えて少年には早くに亡くした父がいて、その父はその”おじさん”に少年のことをよろしく頼むと後を託している。少年の母も、少年(息子)のことを深く愛していて、母自身が少女時代に感じた良心の呵責を息子に語って聞かせる場面もある。要するに少年の周りの大人は、皆少年を大切に思い、少年の将来をおもんばかる人ばかりなのだ。
どんなに良いメッセージであったとしても、そのメッセージを発する者と受け取り手の間に”愛”が通っていなければ、そのメッセージは最大の効果をもって伝わることはない。自分は愛されているな、大事にされているな、と思うからこそ、自分への忠告は素直に受け取れるのである。そういう条件を備えていない者にどんな良い人生訓を垂れたところで、孤独で乾いた心には染み込まない。
言葉よりも先に”愛”ありき。この漫画を読みながらそんな平凡なことを思う。