クラシック音楽のブログ記事を書くのは何となく恥ずかしい。
世の中には、クラシックにやたらと詳しい人がゴマンといて、「ベートベンの第九を聴くならフルトヴェングラーが◯年に振った◯◯フィル以外は認めない!」みたいなことを言ってそう、と勝手に想像してしまう。
でも自分はそこまで詳しくもマニアでもないけれど、クラシック音楽を聴くのが好きで、毎年12月には第九のコンサートに1〜2回くらいはいそいそと出かけていく。でも指揮者やオーケストラにはあまり(というか全然)こだわりがない。先日出かけたのは、東京都北区の「北とぴあ」という市民ホールでの第九。チケットは3000円。合唱団はおそらく北区辺りの一般の方々で、客席では家族・友人が多数観覧していらっしゃったんだろうと推察する。地元感満載のコンサートだったけど、十分楽しめた。歌ってる人も合唱出来る嬉しさをのびのびと歌ってるようで、終演後は満面の笑み。ああいうのはとてもほっこりします。
今日の第九は東京オペラシティでウクライナ国立歌劇場管弦楽団。といってもやっぱり、このオーケストラに特別思い入れがあるわけではない。たまたま自分の行けるスケジュールの日に公演してくれるというだけで選んだ。でもコンサート自体は素晴らしかった。ま、第九はいつも素晴らしいのだけど。今回の指揮者の方のアクションはわかりやすくて、ティンパニに指示するところとか、矢のように鋭い視線と身振りを送ってて、指揮者が楽団をコントロールしているのを見る快感というのが確実にあった。
自分と第九との関わりは中学生の頃にさかのぼる。当時、KBS京都の大晦日特番で
京都市交響楽団の第九コンサートが放映されていた(と記憶している)。第4楽章の
いわゆる、ファファソラ ラソファミ〜の超メインなサビの部分を大人数の合唱団が歌うのが楽しくて、そこばかりビデオで繰り返し見ていた。
そのうち、第4楽章の、メインサビ以外の合唱も崇高だな〜と思ったり、テノールの
独唱と合唱の掛け合いが面白い!と思ったりして、聴くと楽しい部分が増えてきた。見ず知らずの荒地を開墾するがごとくに。そうすると他の楽章も、耕してみたくなり、次に気に入ったのが第2楽章。リズミカルで、メロディに繰り返しが多く覚えやすい。ティンパニは派手だ。そうやって第2楽章も親しめるようになってくると、大学生くらいだったろうか、第1楽章へと移行。愛読していた「クラシックの名曲・名盤」(講談社新書 宇野功芳 著)という解説本に、”音楽的に最もすぐれ、内容も深いのは第一楽章”とあったを読み、「これは第一楽章を楽しめるようにならねば!」と毎年12月になったら繰り返し第一楽章からちゃんと聴いたりしていた。最後にその魅力が分かるようになったのは第三楽章。これはもう30代に入ってたような気がする。しかし一旦、この楽章とお友達になってしまうと、とても実用的な音楽であった。完璧なまでに人をリラックスさせる、ゆったりした音楽で、昼寝したいときにかけると最高である。
今では第九は、12月になったら年一で会いに行くお友達になった気がするし、第九のコンサートが自分の人生を確実に豊かにしてくれている。第四楽章の、疾走するファンファーレが鳴り終わったあとは、いつも「ベートベン、こんなカッコいい曲を残してくれてありがとう!」という感謝の念に耐えない(ちょっとオオゲサだけど)。
だから「クラシックとか、良さそうだけど何だか難しそう…」と思っている人がいれば
少しずつ、少しずつ好きになればいいんだと思う。自分の感性の領域を増やすような感覚で。ポップスと違ってクラシックはいつもデ〜ンと構えているし、そうやって200年以上呼吸してきた。そしてクラシック音楽と一旦お友達になったら、それはもう一生の友達です。