歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

本「知性は死なないー平成の鬱をこえて」・感想②〜「被害者」と「ごっこの世界」〜

あまりにも知的に誠実すぎるがゆえに。

知性は死なない 平成の鬱をこえて

知性は死なない 平成の鬱をこえて

 

 「知性は死なない」の感想ブログその②。

第1章の「わたしが病気になるまで」を取り上げる。ここでの病気というのはうつ病のこと。與那覇さんは躁うつ病を患い、大学を離職されている。しかしここでは「なぜ與那覇さんが躁うつ病になったのか」その原因・理由が直接語られているわけではない。それよりも、病気を患うまで誰よりも知的に誠実であろうとした著者が、周りの知的に不誠実な人たちに違和感を覚え、いかに精神が披露していったのか、その過程がつづられている(その経験が間接的に病気につながっている、とは言えるかもしれない)。

その違和感の感じ方そのものが、與那覇さん独特の深く鋭い思考の結果であり、知的興味をそそられる。今回の記事ではその思考のポイントを2つのキーワードでまとめておきたい。

 

キーワード① 被害者

韓国をめぐる「被害者性」

日本人(特に進歩的知識人と言われるような人たち)は思考の枠組みとして世の中の人々を「加害者」と「被害者」に分け、「加害者」が絶対に悪いと考えがち。しかし「被害者」という立場は容易に入れ替わりうるもの。そしてその入れ替わりが起こったとき、 「加害者=悪」、「被害者=善」という思想が矛盾を露わにする。

具体例として挙げられているのは、2002年、小泉首相が北朝鮮を訪問し、当時の金正日(キムジョンイル)総書記が拉致問題を認めて謝罪したときのこと。戦後、朝鮮半島(をはじめアジア)を侵略した日本は「加害者」であり、相手は「被害者」だとされてきたのが、ここで初めて、北朝鮮が「加害者」であり、日本が「被害者」である事態が出現した。

そうなると進歩的知識人の人たちはこの事態を、大衆が小泉や安倍ににあやつられて、危険なナショナリズムに向かっている、と評した。この場合の加害者(=北朝鮮)を非難することがなかった。

こういう自らの議論の枠組みを反省せず、最初に政権批判ありき、で論を進める人たちに與那覇さんは強烈な違和感を感じている。

與那覇さん自身の表現を借りると…

そんな無責任な態度ってないじゃないか……

 

同様の違和感は、李明博元韓国大統領が竹島に上陸した状況で、進歩的知識人がそのことについて何もいわなかったことについても表明されている。進歩的知識人が戦後主張してきた考えは、李明博の主張と重なる(「東京裁判で昭和天皇は裁かれていない」「植民地責任を認めていない」等)。ならばなぜ、日本国民の民意に抗ってでも、自らの主張を貫かないのか、と。

 

日本政治における「被害者性」

小泉元首相は、自分を「被害者」の位置に置くことで、力を得るのに非常に巧みだった。2005年の郵政解散の折は自分(=小泉さん)は自民党内の抵抗勢力の被害者だ、と訴え、選挙に大勝し、巨大な権力を手にした。

しかし2008年には「小泉改革で切り捨てられた非正規雇用者こそ被害者だ」という空気が生まれ、翌年には民主党が政権交代を果たす。

このように日本では知性による判断ではなく、「被害者」のポジションを獲得したものが支持される傾向がある。

再び与那覇さん自身の言葉を引いておく。

こっちは被害者なんだぞ、と叫ぶだけでは、だめなんだ。そういうやり方はいつか、もっと「力のある被害者」が出てきたときに、あっさり足元をすくわれるんだ。それこそが小泉政治の教訓だ

 

キーワード② ごっこの世界

「ごっこの世界」とは文藝評論家で保守の論客だった江藤淳が、1970年に使用した概念。米国の軍事力に守ってもらいながら愛国心を叫ぶ「右翼」も、米国の核の傘に安住しつつ非武装中立の夢想にふける「左翼」も、どちらも自分のことばを本気では信じておらず、信じているように振舞っているだけ、という状態を指した言葉。

しかし日本にはもう一つ「ごっこの世界」というものがある。新聞や雑誌が自社の主張を唱えてくれる学者に依頼をし、その主張に沿うような論を展開してもらうことで、主張に権威と影響力を持たせる事態のことを指す。

しかし、この「ごっこの世界」も学者に大衆が知的権威を感じているから成り立つのであって、人々が学者にリスペクトを持たなくなったら、「ごっこの世界」が崩れてしまう。

2011年末から4年間にわたり大阪市長を務めた橋下徹氏が自分に批判的なコメントをする有識者をバカ呼ばわりしつつも、高い支持率を維持したこと。そして2016年には全米のあらゆる大学教員や大手新聞に批判されながら、ドナルド・トランプが大統領に当選してこと。これらの事象に與那覇さんは「知識人ごっこ」時代終焉の兆しを感じている。

 

補足:與那覇さんの実体験から~大学に集う「進歩的知識人」の実態~

與那覇さんが大学に勤められている期間に、與那覇さんが大学という知の拠点に対して失望する一件があった。

「さる国の皇太子が日本に来日することになったので、その皇太子に大学に立ち寄ってもらい、同時にわが国の皇太子にもその機会をとらえて大学で学術講演をしていただく」という企画が持ち上がった。その企画の主導者は、普段、君主制・天皇制への批判を口にしている人物だった。

その大学に集う知識人たちの、普段の思想と実際の行動とのかい離ぶりに與那覇さんは深く失望した。

君主制というものへの批判意識を持つよう、ふだん学生に教えている当人が、自国ではなく他国の王子様のご機嫌うかがいをして、それが大学の一大事業なのだという。私には、ただのコントとしか映りませんでした。

 このときすでに、精神的な苦しさから仕事量の調整を申し出ていた私の気持ちは、完全に大学というものから離れました。

大組織の中にいたら、言ってることとやってることが違うという御仁はたくさんいて、下の立場からすれば「はぁ~」とため息をついて流してしまうことも多々ある。でも知性で物事を判断するはずの大学でさえ同じような事態だったことに與那覇さんは深く傷ついてしまった。本当に知的に誠実な人なんだと思う。だから信用できるし、知性に基づき、思わぬ方向から正論を放り込んでくることができるんだろう。

 

 ※「知性は死なない」の感想ブログその①です。

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