歴史探偵

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なぜ”空気”は息苦しいのか〜NHK「100分deメディア論」から〜

日本人を縛る”空気”の正体について名言が続出。

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古今東西の名著(本)を25分×4回=100分で読み解いていく番組「100分de名著」。名著についての解説が一流の専門家から聞け、なおかつ良質のテレビ番組らしく内容が分かりやすくまとまっているので、個人的にとても愛している番組です。先日(2018年3月17日)はそのスペシャル版として「100分deメディア論」が放送された。

番組内のナレーションを借りると…

メディアと私たちの”これまで”と”これから”を見つめます。

という内容である。 

4人のゲストはそれぞれメディアに関する名著の内容プレゼン。その後、全員でディスカッションする。ちなみに出演者と紹介される名著は以下の通り。

  • MC:伊集院光、島津有理子アナウンサー
  • ゲスト①堤未果(国際ジャーナリスト)『世論』
  • ゲスト②中島岳志(東工大教授)『イスラム報道』
  • ゲスト③大澤真幸(社会学者)『空気の研究』
  • ゲスト④高橋源一郎(作家)『一九八四年』

どの本についての議論も興味深かったのだが、自分にとっては③の大澤氏のプレゼンによる『空気の研究』のパートが抜群に面白かった。これは(不幸なことだが)常に”空気”を読みながら仕事をしないといけない、今の職場環境のシンドさがそう思わせたのかもしれない。言いたいことを言っちゃうと孤立しちゃうというか…。あ〜ほんと日本人ってメンドくさい!

 

※「空気の研究」は以下のような本です。 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

名著「空気の研究」とは?

まずは番組による「空気の研究」の紹介を引用する。

 

著者の山本は評論家 。クリスチャンの家庭に生まれた。戦後、日本人論を中心に評論活動を展開した。その山本が1977年に出版したのが「空気の研究」。多くの人がその場の空気というものを気にかけることに注目。空気が日本人の意思決定にどう作用するのか本書の中で考えている。

山本が例にあげるのは、戦艦大和についての証言記録。航空機の援護もない中、沖縄を目指した大和は撃沈。2700名以上もの犠牲を出した無謀な作戦はなぜ決定されたのか。山本はそこに空気の言葉を見つける。

以下、「空気の研究」の本文より。

小沢治三郎中将の証言

「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」

連合艦隊司令長官・豊田副武

「本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私はああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏(べんそ)しようとは思わない」

海軍のトップにすら「ああせざるを得なかった」としか言わせないのは、空気の支配があったから。山本はそう分析する。

再び「空気の研究」の本文より

むしろ日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。

「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。

統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定されることになるのかも知れぬ。

 さて、この『空気の研究』の内容紹介に引き続いて、ゲストにより討議が開始されるのだが、大澤さんによる空気の”特徴”についての分析が実にシャープであった。以下大澤さんが挙げたポイントを列挙してみる。

 

「空気」は絶対明示的に語られず、感じて自分で解釈しなければならない

 「空気は今、これ!」とどこかに書いてあるわけではない。読み合って忖度しあって、自らがその空気に合わして行かないといけない…。

→(私の感想)強制されるのならまだ反抗のしようもあるが、空気の支配下の行動は”自粛”という体裁を取るので何とも反抗するのが難しい。自ら進んで、窮屈な方、窮屈な方へと行動しないといけない。そりゃ息苦しくなるはずだ。

 

「空気」はそれぞれの人が考えていることと必ずしも一致しない

戦艦大和の出撃に関わった全員が、大和の出撃は非合理だと分かっている。誰ひとり合理的だと思っている人はいない。”空気さん”だけが戦艦大和出撃だ!と主張する。つまり「空気」はそれぞれの人が考えていることと一致していない。にも関わらず”空気”は誰よりも強い。「大和の出撃」という重要な、日本人の歴史の運命を変えてしまうような出来事すらも空気によって決まってしまう…。

→恐ろしい話だ。恐ろしい話だけど笑えない。日本人だったら、学校のクラスで、会社で、”空気の支配”によって非合理な決定がなされたことを経験していると思うから。空気には論理では対抗できないのだ。これも空気が息苦しい理由の一つだ。

 

空気は異論・反論があることはありえない。

「世の中はこれを受け入れない人もいるかもしれないからこそ合理的な根拠を示さなければいけない」というのが空気には絶対にない…。

→これは何なのだろう。日本人は無意識のうちに、全ての人間の同質性を前提にしてしまっている、ということなのだろうか。「わかるよな、俺たち同じ日本人だもんな」みたいな。「あなたとぼくは違う人間だよね。だから話合う必要あるよね」ではなく、議論が始まる前から同質性を押し付けられてしまっている。ああ、息苦しい。また議論がないから、データや論理を準備する動機も生まれない。これでは同じ失敗を繰り返してしまう。

 

なぜ日本で「空気の支配」が起こってしまうのか

番組は日本で空気の支配が起こってしまう理由についても討議された。山本七平は日本人独特の「臨在感的把握」にその理由があると考えたという。

「臨在感的把握」とは大澤さんが「何かプラスアルファの力がモノや記号の背景に宿っているという感じ方」とうまくまとめてくれている。「ここ縁起悪いから、踏んじゃいけない」「ここは清めないと何か宿っているかもしれない」というものだ。

→これも日本人なら「あ〜分かる分かる」という感覚だ。これも日本人の民族的伝統から来る感覚なのだそうだ。

 

大澤さんは戦艦大和の例にあげる。大和のことを「不沈戦艦大和」と呼び習わすことで、大和はただの戦艦から「我が国の生命力の”核”だ」みたいなイメージになり、その戦艦を使わずして戦争に負けるわけにいかないぞという空気が醸成される。そして非合理だと誰もが思う大和の出撃が決行される…と。

大澤さんはさらに「臨在感的把握」を一般化して説明する。「言葉に臨在感が宿り、言葉の辞書的な意味よりももっと強い力を持ってしまう」「言葉がスローガンになってしまう」と。

番組では「時代を飾ったキャッチフレーズ」として強い影響力をもったスローガンをズラリと紹介。その中の一つ、戦時中の「一億玉砕」という言葉に大澤さんは言及した。「本当は誰も一億玉砕なんてする気はない。けれどもこれを言わざるを得なくなってしまう。やめましょうというのはできなくなってしまう」。

→ここにも戦艦大和の出撃と同じ構造がある。誰もがマズイと思っているのに、言い出せない。「空気」という絶対権を持った妖怪が跋扈(ばっこ)してしまう。しかしそのくせ敗戦後は日本人を覆っていた空気がガラリと変わり、民主主義バンザイの世の中になってしまった。とてもつきあいきれない…と思うけど、まぎれもなくこれが自分も含めた日本人の姿。

 

「空気」に対する処方箋はあるのか

番組内では空気の支配に対する明快な処方箋は語られなかった。日本人が歴史的にずっと取り続けてきた思考・行動様式だろうから、そんなイージーに処方箋があるとは思えない。しかし日本人が「空気の支配に抵抗しづらい」という事実だけは、実際に社会を、世間を、生きるうえで自覚しておくことは有益な気がする。その自覚があるだけで「空気に抵抗できるだけの、(無駄かもしれないが)科学的なデータを用意しよう」とか「あまりにもこの組織の空気は悪いからここから逃げ出そう」などといった前向きな行動が取れるかもしれない。

 

いずれにせよ薄っぺらなビジネス本や自己啓発本を読むよりも、この「空気に支配されやすい日本人」について意識を高めておくこの方が大事だと思えた。「空気の研究」も読まねば。

 

再放送もありました。

2018年4月22日(日)午前0:30~2:10(Eテレ)で再放送あり※土曜日深夜。

「空気の研究」以外の討議も一見の価値ありです。面白いです。

www.nhk.or.jp

 

※日本軍が「空気」を重視して戦略や人命を軽視していたのは南北朝時代からの”伝統”かもしれない、という話です。

www.rekishitantei.com

 

 ※「空気」ではなく合理的な判断で働き方を考えようと実践されている企業、サイボウズについての記事です。

www.rekishitantei.com