歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

ブラタモリ"本"散歩〜鎌倉〜

鎌倉の大仏様は"太っ腹"だ。

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3連休の最終日のお出かけに 鎌倉 をチョイス。しかしピョンチャン五輪のスロープスタイル女子のテレビ中継に気を取られ、出発がズルズルと遅れてしまい、鎌倉に着いたのは13時を回っていた…orz。

 

私事ながら鎌倉は10年ぶり3回目。せっかくならブラタモリで紹介されていた少々マニアックな歴史的事象にも触れたいぞ、ということで(一応、ブログタイトルは歴史探偵だし)、渋谷駅前の啓文堂で「ブラタモリ長崎 金沢 鎌倉」を購入し、湘南新宿ラインに乗り込んだ。

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

 

うまくタイミングが合えば、乗り換えなしで鎌倉まで一本で行ける。乗車時間53分。渋谷と鎌倉って意外に近い。

 

江ノ電に乗り換えて、長谷駅で降り、歩くこと10分ほど。鎌倉の大仏様のある高徳院に到着。拝観料はなんと200円!安い!京都のお寺だったら600円するところもあるくらいなのに…。鎌倉の大仏様は心が広い。

 

冬晴れのすっきりした青空に、大仏様の体軀がくっきり映えている。それにしても関東の冬の青空は何でこんなにも綺麗なんだろう(ちなみに自分は関西出身)。北陸では灰色の空から雪が降りしきっているというのに。同じ日本でも違いすぎる。関東の人はこの青空をもっと自慢にしてもいいと思う。

 

大仏様の前では、地に伏して深く頭を下げ祈りを捧げている人がいた。「そうだよな…大仏様だって仏様。祈りの対象だ…」。胸をトンと突かれたような気がする。祈っているのはアジアから来た外国人のようだ。アジアの仏教国といえば…タイの人だろうか。

 

「Where are yon from?」と尋ねると、ミャンマーだ、と言われた。確かにミャンマーは仏教国だった。10人程度の一団のようで、みな最初にお祈りしてから、その後で記念写真を撮っている。手を合わせるのも忘れて、さっさと写真を撮った自分がちょっと恥ずかしい…。

 

ブラタモリ鎌倉でも取り上げられていたネタを確認してみたい。鎌倉の大仏様は今は”露天”の大仏様だが、元々は”大仏殿”に覆われていたようで(奈良の大仏様のように)、その屋根を支えた大柱の礎石が、大仏様の周りには残っているらしい。

 

周りを見てみると…すぐに見つかった。

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しかし一般の参拝者の皆さんは”ちょうどいい”腰掛けのように思っているかも。自分だって事前に知らなかったら「石造りの立派な腰掛けだなあ」と思うだろう。

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この大仏様(というか大仏様を管理している高徳院というお寺)は奥ゆかしい。少しくらい解説の案内を置いてアピールしても良さそうなものなのに。だって、かつて大仏を覆っていた大屋根の礎石なんて、文化財そのものじゃないですか。

 

もしくはそんな案内をして、ヘンに参拝者が礎石に近づけなくなって、座れる場所がなくなっても不都合だ、という考えなのだろうか。いずれにせよ、純朴というか飾らないというか、そういう清々しさを感じるお寺ではある。

 

大仏様には「胎内拝観」としてその御身の中に入ることができる。写真で見ていただくとわかるように、行列もできていて、けっこうな人気である。

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そしてまたこのお寺の”太っ腹さ”というか”清々しさ”というか、その拝観料金がやたら安いのだ。20円ですよ、20円。きょうび、チロルチョコでも30円するというのに。心底儲ける気がないらしい。

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でもその「胎内拝観」、なかなか見応えがあった。大仏は、その大きさゆえ、少しずつ鋳型を造って鋳造していったらしいのだが(胎内に案内版がある)、その鋳型の跡が格子状の線になって、中から確認できるのである。格子の一段造っては、また一段と像を高く積み増していったのだろう。いにしえの人たちの、ほとけさまを築造する際の息づかいを感じた気がしてなかなかに感慨深かった。

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胎内拝観するための行列に並ぶのが面倒、と思う向きもあるだろうが、興味のある方はぜひ、胎内拝観、やってみてください。行列の待ち時間も見た目ほどではないです(この日はせいぜい5分くらいだった)。

 

話は前後するが、その胎内拝観の行列に並んでいる間に、”ブラタモリネタ”をまた一つ確認できた。大仏様の背後の銅製の蓮の葉だ。

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これは江戸時代、大仏様を蓮台で囲もうとしたプロジェクトの名残らしい。その蓮には、本で紹介されていた通り、寄進者の名前がびっしりと書いてあった。

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しかしそのプロジェクトも途中で頓挫したらしく、完成すると32枚の蓮の葉が並ぶはずだったのに、4枚で終わってしまったという。

 

ここにもその蓮の葉についての説明書きは見当たらなかった。参拝者もそういう歴史的エピソードを知ったら面白いと思うのだけど…。そういうのは”観光ずれ”した素人の浅はかな考えなのか。

 

大仏様とその周りを一通り見て回った後、大仏様の裏手にある高徳院の境内にも行ってみた。そこには与謝野晶子の歌碑があって、歌がこう詠まれている。

かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は

美男におはす夏木立かな

さすが、情熱の歌人と言われた与謝野晶子。大仏様にもオトコの色気を感じていたとは…。しかし与謝野晶子にそう言われて改めて、大仏様のお顔を見上げると、確かにととのった顔立ちのような気もしてくる。

 

仏前で熱心に祈っていたミャンマー人は、大仏様のお顔をどのように感じたのだろうか。