歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを書きまくろうと思っていたら、仕事柄どうしてもTVの記事が多くなる今日この頃…

茨城の"貴重な"凸地の物語

茨城の凸地は特別かもしれない、という話。

水戸市のどこからでも見つけることのできる茨城県庁ビル。

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25階が展望ロビーになっていて文字通り茨城県が一望できる。実際に眼下に「関東平野茨城県部分」の景色をものにしてみると、自分のように、西日本出身の人間は、軽い驚きを覚える。

あまりにも平らな土地だ…。山がない…。

この感想以外思いつかない。 西日本では、自分の居所から山が見えるのは当たり前のことだからだ。

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南方向

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東方向

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北方向

 

もちろん北方面、西方面を遠く見はるかせば、なだらかな山並みを目にすることはできる。しかしビル直下に広がる水戸市周辺や、海に向かって開けた東方面、そして千葉県へとだ〜っと視界が開ける南方面は、ほ〜んとに平らか。「日本の国土の4分の3は山地」だとは先日再放送してたNHKジオジャパンでも言及していたが、それを思うと、この茨城の凹凸のなさ感は、日本全土で相当特異なのではなかろうか。

 

東京も関東平野の南端の一角を占めているし、東京都庁からの眺めだって、山の姿ははるか遠くにしか認められない。

が、しかしだ。

東京の場合は超高層、高層、中低層のビル群・家並がほぼ全ての土地を埋め尽くしているため、関東平野の実際の地形までは実感することが出来ない。その点、茨城は水田・畑地も多く、平らかな土地がノーメイクで、その"生肌"をさらしており、地形に注目することが趣味な者(そう私のことです)にとっては感慨ひとしおなのだ。

 

逆に言うとこれだけ平らな茨城である。その中でポコッと地面が盛り上がった土地には、ことごとく固有の物語があるはずだ。

 

例えばここ。水戸市大串貝塚ふれあい公園」

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常陸国風土記に登場する伝説の巨人ダイダラボウが、青空に映える巨軀で迎えてくれる市民公園だ。

 

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ここでは平地から高さ20メートルほどの崖が見られ、その斜面に貝塚の標本が展示されている。

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縄文時代茨城県の平野の大半が浅い海だと考えられるが、その中でこのような海に臨んだ小高い丘のような場所は、魚や貝は取り放題に取りやすかったろう。丘の上からは井戸だって掘れたかもしれない。そんな事を考えながら、崖の上には立って平野を見下すのは実に楽しい。

 

水戸の中心部で地形を意識した場合、凸地に置かれて目立っているのは水戸東照宮

 

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東照宮はご存知の通り、徳川家康を神として崇拝する神社だ。さすが徳川御三家の一つ水戸藩にある東照宮水戸市街地の真ん中にある、絶好の丘の上に鎮座されており、神社の脇の崖上からは水戸市街がよく見渡せる。逆に言うと、高い建物のなかった江戸時代などは、水戸城下のどこからでも東照宮は見上げることができたわけで、水戸市民は常に家康の威光を感じつつ、日々暮らしていたのかも。

 

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最後に、言及しておきたいのは水戸のシンボル・水戸城

だいたい城というのは、防衛の意味からも権威を見せつける意味からも小高い丘に築かれることが多く、水戸城もその例に漏れない。

 

今回、初めて水戸城を歩いてその地形の妙を感じられたのは二つの空堀

 三の丸と二の丸をつなぐ大手橋の下の空掘には県道。

 

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二の丸と本丸をつなぐ橋の下の空掘にはJR水郡線が通っている。

 

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いずれも崖の高さ20メートルはあろうかという堂々とした高低差を誇る。水戸城付近の貴重な高低差を利用して城を築いてきた中世以来の武士たち、そして近代に入ってその堀が水戸市の重要な交通路に利用されていく歴史などに思いを馳せれば、このスポットが茨城の凸地の物語としては、白眉なのかも。

 

あまりにも平らな土地であるがゆえ、貴重であり続けたであろう茨城の凸地。今後も機会を見つけてコツコツとその物語を掘ってゆきたい。